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ゲームレビューの存在意義とは?

はじめに

ふと思った。

「ゲームレビューのあるべき形、あるいはゴールとはなにか?」

ゲームレビューは誰に、どう思ってもらい、どう行動してもらうために書かれているのか。
専門性の高い個人的な感想に過ぎないのか。

友人に対してレビューを披露するなら?

友人から「どうだったの?」と問われれば、自身の中で
・つまらなかった
・ふつうだった
・おもしろかった
といった基準をもとに、相手へプレゼンするだろう。

つまらない → 見なくていい
ふつう → 見るかどうかはお任せ
おもしろい → 見たほうがいい

これは友人という関係性から、相手へのメリットとデメリットを考慮するからだ。

では、不特定多数の読者を対象とするゲームレビューは誰にどう思ってもらい、どう行動してもらいたいのか。

誰に向けて書かれているのか?

不特定多数ではある。
しかし、ターゲットはいる。

・ゲームを好む層
・自身のサイトを訪れる層
・そのタイトルに興味を持つ層
・そのジャンルに興味を持つ層
・その会社に興味を持つ層
・その開発者に興味を持つ層

といろいろなターゲットがいるが大きな区別として、

・そのタイトルを未購入である層
・そのタイトルを既に購入済みである層

がある。

そのタイトルを未購入である層に対してレビューを書く場合は通常は紹介という形をとるだろう。
開発会社や開発者に対して恨みでもなければ、わざわざ悪評を書いて警告する必要はない。

そのタイトルを既に購入済みである層に対してレビューを書く場合は分析や考察という形をとるだろう。

前者が広範な読者へのプレゼンテーションであるのに対し、後者は特定のファンに向けたアカデミックでニッチな内容となる。

ゲームレビューを書く際、あるいは読む際には想定された対象が未購入層と購入済み層のどちらであるかを意識しないと情報の価値が歪んでしまう。

どう思ってもらいたいのか?

文章を書く、それを誰でも読める場に公開する。
そこには「読むことで何か感じてもらいたい」という書き手の意図がある。

対象が既に購入した層である場合。
レビューは自身の分析と考察のお披露目であり、ファンとのコミュニケーションか業界への知見提供による貢献が目的となる。

対象が未購入層である場合は紹介になると前述した。
この紹介という態度が厄介だ。

歪んでいく紹介

「その映画について教えてよ」と友人から問われた場合、評価はさておき紹介するのなら事実ベースで伝えることになる。

・監督の名前と経歴
・映画のジャンル
・出演している俳優
・簡単なあらすじ

日常のコミュニケーションなら、ここまでで十分だ。
「で、面白かったの?」と問われて初めて評価を伝えればいい。

ゲームレビューも紹介が役割であればこの程度で十分だ。
これを読んだ読者がそのゲームを買う気を持つのか失うのかは自由…そもそも紹介なのだから。

しかし、記者がプロであるなら、プロらしい文章を書かなければならない。
プロらしい文章とは読む価値のある文章だ。
読者にとって価値のある文章とは?

残念ながら、未購入者層に向けたプロらしい価値を持った文章とは
「そのゲームを買うべきか否かが判断できる」文章になる。

未購入でありながら記事に興味を持つ層は、購入に至るかもしれない層だ。
気になるからこそ読む、気になるだけなのでゲームはまだ購入していない。

記事を読み、購入の後押しか思いとどまらせて欲しいと思っている。

プロはゲームの紹介という体裁でありながら「買うべきか否か」が判断できる文章を書くことになる。さらに、文章では曖昧になりがちな評価をスコアという形ではっきりと可視化する。

どう行動させようと思っているのか?

読み手を想定した文章には意図がある。
意図は以下がある。

・自分への興味、評価
・自分が所属するグループへの興味、評価
・相手の思考の誘発
・相手の行動の誘発

読み手から書き手への接続か、読み手自身の変化が意図となる。

そのゲームに興味はあるが購入には至らずレビュー記事を読む層

その層に対して行動を誘発するプロの文章を書くレビュワー

という組み合わせでは、レビューを書き始める前に「買うべきである」「買うべきではない」という態度が決定されていることになる。

レビュワーの態度の問題ではなく、構造としてこう書かざるを得ないのではないか。

これは互いにとって不幸であり、不健全であるように感じられる。

より良いレビューの形とは?

2つの方法が達成されると、歪な構造が改善されると考える。

①レビュワーは自身の知識やスタンスを予め提示する

ラーメンについて博識な人がカレーについても博識とは限らない。
アクションゲームを評価するにしても、レビュワーがアクションゲームを得意であるかそうでないかで評価が変わってしまう。
読み手にとっても良い意味でも先入観を持って読み始められるはずだ。

②パブリッシャーはレビュワーを指名できる

渾身のシューティングゲームを作り、それを自身が信頼するレビュワーにレビューを打診する。その結果、ボロクソにけなされたとしてもある程度は納得できるはずだ。

この関係性が育まれれば、レビュワー側も自身の専門性について考察し、よりスキルを高めることができるようになる。

まとめ

未購入層に向けたレビューは紹介から逸脱し、評価を混ぜると歪む。
過程に何を書こうとも、出力結果は「買うべきか否か」の誘発である。

不幸なすれ違いは好ましくないので、
・レビュワーが自身のスタンスを自覚し明言する
・パブリッシャーがレビュワーを指名する
システムが出来上がれば改善されるのではないか。

個人的には未購入者へ向けたレビューはポジティブ一辺倒で良い。
とはいえ「面白いから買おうね」という記事ではなく、開発過程や開発者は何を大切にしているかを紹介してほしい。

読み手の想定が購入済み層である場合は超ニッチかつ独創的な文章でもオッケーである。

↓こちらとか

https://jp.ign.com/doki-doki-literature-club/22567/opinion/doki-doki-literature-club

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