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『放置ゲー』の歴史(ただのネタです)

◆放置ゲーを調べてみた経緯とか

おつかれさまです。

ふと、放置ゲーの歴史が気になり調べてみました。
放置ゲーとは「放置→報酬→強化→放置…」のゲームサイクル(ゲームの循環)を繰り返すジャンルです。

現代でスマホを持っていてゲームアプリを遊んだことのある人であれば、
1度は目にしたゲームサイクルだと思います。

さて、今では圧倒的な市民権を得た放置ゲーは、どのように生まれてきたのでしょうか…。

残念ながら、これから述べることはトンデモナク適当です。
一応、ゲームソフトの販売時期についてはネット上で調査した内容を反映していますが、個々のタイトルを深く調べたわけではないので、怪しい部分が多々あると思います。
ちょっとした暇つぶし程度の感覚でお読みください…。

◆放置ゲーの歴史

まず、神が世界を創り、そこから人類が生まれました。

人類が世界中に広がると、やがて神話が生まれました。

神話は民族の生活に溶け込んでいき、民話が生まれていきました。

神話や民話を元に作家である【トールキン】が『ホビットの冒険』を1937年に執筆しました。

数学者である【ジョン・フォン・ノイマン】が「セル・オートマトン」の概念を1940年に発見しました。

数学者のジョン・ホートン・コンウェイは1970年に「ライフゲーム」を考案しました。

【トールキン】が創り出した世界観が様々なファンタジー世界を生み出し、そこから『ダンジョン&ドラゴンズ』が1974年に発売されました。

『ダンジョン&ドラゴンズ』の影響を受け、コンピューター上でRPGが作られるようになりました。
1979年には『ウルティマ』の原点である『Akalabeth』が発売、1981年には『ウルティマ』と『ウィザードリィ』が発売されました。

1985年に『ベストナインプロ野球』が発売されました。
選手自身を操る『ファミスタ』とは異なり監督視点から遊ぶ、斬新なシステムを搭載したゲームでした。
自分=表舞台に立つ主役、という考えを切り替えるゲーム業界の転機となったタイトルと言えるのではないでしょうか。
ベースには光栄が出していた歴史シミュレーションからインスピレーションを受けたのかもしれません。
開発者は『ダービースタリオン』や『カルチョビット』で有名な【薗部博之】です。

1986年に『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の影響のもと『ドラゴンクエスト』が発売されました。
開発者はご存知【堀井雄二】です。

1988年に『ドラゴンクエストⅢ』が発売され、国民的タイトルとなりました。同年、人気漫画をゲーム化したタイトルである『キャプテン翼』が発売されました。当時のテクモ(現コーエーテクモゲームス)が開発をてがけた、今でもカルト的な人気を博すタイトルです。

1989年に海外では【ウィル・ライト】が『シムシティ』を発売しました。今作はスーパーファミコンに移植され、国内に「都市経営シミュ」という概念が流入するきっかけになりました。
また、同年【ピーター・モリニュー】が『ポピュラス』を発売し「ゴッドゲーム」と呼ばれる、神の視点で世界を俯瞰し操作するゲームジャンルを認知させました。

1990年にスーパーファミコンが発売されると、すぐに『アクトレイザー』と呼ばれる横スクロールアクションとクリエイションモードと呼ばれるゴッドゲームを搭載したゲームが発売されました。

1991年になると『ベストナインプロ野球』を開発した【薗部博之】が『ダービースタリオン』を発売しました。既にスーパーファミコンが発売していましたが、初代ダビスタはファミコン用ソフトでした。
ダビスタ開発の起点となったのはファミコンソフト『キャプテン翼』の実況でした。

1996年にカイロソフトが『The 古本屋』を雑誌内に収録、またプレイステーションでは『THEコンビニ』が発売されました。
シムシティが生み出した都市経営シミュは「経営シミュ」という、より専門的でミニマムなジャンルを生み出しました。
ところで同年は『たまごっち』が国内で発売され、爆発的なヒットを起こしました。
日本人の中に「育成欲求」があることが発見された瞬間です。

さらに、同年は『牧場物語』が発売されました。
牧場物語の開発者である【和田康宏】が言うには、田舎を舞台としたゲームを開発するにあたり『ダービースタリオン』から大きく影響を受けたそうです。

1997年に『ポピュラス』でゴッドゲームを広く認知させた【ピーター・モリニュー】が『ダンジョンキーパー』を発売しました。
これまでのように勇者がダンジョンを探検し魔王を倒すのではなく、
悪のダンジョンキーパーとなってダンジョン内に魔物を配置・育成し、勇者を滅ぼすという発想の逆転ゲームです。
最近で言えば『勇者のくせになまいきだ。』の元ネタとなっています。

1998年になると『だんじょん商店会』と呼ばれるゲームが発売されました。
勇者ではなく、勇者を支える「商人」となって過ごす異色ゲームです。
1997年に発売された『マリーのアトリエ』はキャッチコピーが「世界を救うのはもうやめた」でした。
おそらく1989年に始まった『フォーチュン・クエスト』以降、国内に優しい世界観のRPGが認知されており、そこからマリーや商店会が開発されたのではないでしょうか(根拠なし)

そして月日は流れ…(ええー)

2009年にmixiアプリとして『サンシャイン牧場』がサービスを開始しました。
『牧場物語』と『たまごっち』によって発見・研究されてきた人間が持つ育成欲求は、ここにきてゲームからサービスへと姿を変えていきます。

2010年?にはフリーゲームとして『まほでんわーるど』が配信されます。
勇者パーティをダンジョンに派遣し、パラメーターの増減を見つつ、適当なタイミングで帰還させ、装備品を売却し資金を得て、より強い装備品で強化し、またダンジョンへ向かう…いわゆる放置ゲーの基礎がここに生まれます。
※さらに元ネタがあると思うのですが、見つからない…

そして同年?ついにiOSアプリとして『ゆけ!勇者』が配信されます。
ここからスマホに放置ゲーが根付いていくことになります。

2011年には大ブームを起こした『おさわり探偵 なめこ栽培キット』が配信されました。元はNintendoDS向けタイトルだった『おさわり探偵 小沢里奈』のスピンオフアプリです。
日本中で仕事そっちのけでなめこを収穫する日々が始まりました。
スマホアプリにシュールで可愛い、という雰囲気が生まれたきっかけになったタイトルでもあります。
『たまごっち』が育成だったのに対し、なめこは収穫という楽しさを発見しました。
ええ、日本人は農耕民族のDNAを捨てきれないようです。

2013年にはついに、あの化け物ブラウザゲーが姿を現します。
その名も『クッキークリッカー』。
全国民が(いいすぎ)グランマのためにクッキーを焼き続ける日々が始まりました。
「面白いわけじゃないのについやってしまう」という放置ゲーの恐ろしさに国民が気づいた瞬間でもあり、同時にゲーム開発者たちが人間のプリミティブな欲求に気がついた瞬間でもありました。

すなわち、数字が増えるのは楽しい!
ということに。

2017年…今でもCMでお茶の間を微妙な雰囲気にしてくれる『放置少女』が配信されました。
放置ゲーは美少女と結合し、完成形となりましたとさ…めでたしめでたし。

◆言い訳とか

「放置ゲー」というワードから調査を開始していくと、あまりに派生していき収拾がつかなくなっていきました。
そもそも、自分の中の知識で拾い上げていく以上、強く内容が偏っています。
放置ゲーの歴史というよりは「育成ゲーム」という遊び方が、どれだけバリエーション豊かに展開していったかを知れて楽しかったです。

参考文献のリンクは…いつか貼るかもしれません。
すべてネット上から拾い上げていきました。




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