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子供の頃にかけられた、ある魔法のような『Five Years Old Memories』

文・canavis

子供の頃の記憶は、現実と夢の間、生きていることと死ぬことの境目が曖昧な気がする。

幼少期の記憶、自分の頭の中の記憶と呼ばれるものの中で、最初期のものを振り返る。

ゲームボーイの電池を入れるところのふたをよくなくす子だった。

幼稚園の先生に、ショベルで砂をかけて怒られた。

母が作ってくれたぬいぐるみとずっと一緒にいた。そのぬいぐるみが主人公のゲームを空想していた。

車や電車の車窓から電線に伝って走る忍者の姿を空想していた。

祖母の家には離れがあって、そこには子供時代の叔父が残した玩具や過去の匂いがあって、ワクワクしたのを覚えている。

『Five Years Old Memories』というゲームを遊んだ
本作について書くことはとても難しい。システムやゲームの成り立ち、ゲームにおける文脈や

本作で語られる作者・小光氏の友人たちのエピソード、サウンド、アート……など、

普通のゲームであればその魅力的な部分を多いに語るべきだろうが、

しかし、このゲームでは、そのものの魅力を語る行為が、作品にかけられた魔法を解いているような気にもなるのだ。

なので、自分は自分の記憶を掘り起こして、このゲームで語られる体験に近いと思われるものを列挙してみることにした。

それが、自分のできる最大限のこのゲームに関する紹介と感想だ。

家の庭に子供の目から見て大きな岩があり、そこでいつも立小便をしておしっこの神様がいる、おしっこ岩という概念を勝手に作り出していた。

祖母がマリオペイントを買ってくれた日、帰りの公園から見た空の色をなぜかいまだに覚えている。

隣近所の家の庭が大きな道路とつながっていて、そこから遠くの街に行けると信じていた。

『Five Years Old Memories』
この作品を言葉で伝えることはとても難しく、言葉にすると
この作品にかけられた魔法を解いてしまうような無粋さを感じてしまう。

しかし、この文章での紹介の仕方が正しいこのゲームを伝える手段なのかはわからない。

もしかして、自分が書いているのは真夜中に書き、明日の朝には消してしまうべき文章なのかもしれない。

だが、このゲームを通じて自分と同じ感情をもつ人間がこの作品を遊ぶことで増える可能性があると思うと、どうしても筆をとり、文章にして残すしかなかった。

そして、自分にできるだろうと思うことはこの伝え方で、今はそれを信じるしかない。

子供の頃の記憶は、現実と夢の間、生きていることと死ぬことの境目が曖昧な気がする。

『Five Years Old Memories』

本作で描かれているのは、過去と夢と生と死の間で揺れている季節にしか生まれない遊びなのかもしれない。


『Five Years Old Memories』は Steamで遊ぶことができる。

作者 小光氏のX(twitter)アカウント


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