まるでお話にならないお話

「まるハラ」と聞いて何かと思ったのだけど、若者の間で文章の最後に "。"が付いてるのを怖く感じる人がいるらしい。中高年が"。"を付けてくるのを高圧的に感じるという。
個人的には全くの初耳で、昭和の男としては 文章の最後にマルを付けるのは当たり前、いったい何を言ってるんだろう、という感じだった。

少し調べてみると、問題となるのは LINEなどのメッセージを書く際に、最後にマルがあるかどうかということらしい。
このことをきっかけに自分なりに考えてみたことを書いてみた。

まず最初に、私は個人的には LINEは積極的には使っていない。他人に聞かれてもやっていないと返事している。そんな私でも必要に迫られて、最低限の利用はしている。

<私が使ってるLINEは以下の程度>
(1) 妻とは友だちになっていて、あれ買ってこい、などのメッセージ(指令)は受けてる
(2) 企業やお店の公式LINEとお友だちになってることがある(情報を得るため)
(3) 何らかの活動に参加する際に、必要なグループLINE や オープンチャットには参加
(4) 個人の友だちは妻のみであり、スタンプは使ったことはない

問題は、この(3)の場合で、これまでも違和感を感じていた。
<感じていた違和感>
・活発な意見交換がされてるようにも見えるが、私には何が書いてあるのか半分も分からない
・具体的に言うと、「何に関して(対して)書いてるのか」が分からないことが多い
・また、元となってる(と思われる)他人の投稿を、誤解してるのではと思うこともある
・気になって、自分なりに整理してやや長めの投稿をすると、とたんに反応がなくなったりもする
・酷い言い方をすると、文章読解力がなく かつ まともな文章が書けない 人が集まってるように思える

こんな風に感じていたが、「まるハラ」の件をもとに少し考えてみたところ、自分が大きな誤解をしていたことに気づいた。

ここから以下の部分は、多くの方にとっては当たり前の話で、お前今頃何言ってるん、と言われそうな内容ではあるが、恥を忍んで書くことにする。

一言でいうと、グループLINE での投稿に関して、私は 文章を書いて投稿するところだと思っていた。しかし、私以外の多くの人は 会話をするところだと 思っているのではないか。

多くの人が日ごろ使ってる グループLINE でのメッセージ機能は、日常的な会話 本来なら相対でする会話を 再現するためのツールとして捉えられてるではないかということ。
相対での会話であれば、声の強弱、スピード、抑揚で 相手の感情を推し測ることができるし、何より相手が目の前にいれば表情が多くのことを伝えてくれる。残念ながら、LINEでは 声も聞こえなければ顔も見えないので、それを補うものとして 記号(!や?)や顔文字を使うのだと思う。
記号や顔文字を使わずに句読点だけを整然と使うのは、いいかえると 抑揚のない一本調子の声で、しかも全くの無表情(能面)で会話をしてるのに等しい。確かに、怖がられても仕方がないし、立場によっては高圧的と取られても仕方がないかもしれない。

日頃から LINE をよく使ってる皆さんからすると、スマホを使って「会話する」というのは当たり前のことで、そこにパソコン立ち上げてテキストエディタで長文書いて投稿してくるおじさん(私だ!)は、異物でしかないのかもしれない。

では、ここまで理解したうえで、今後自分がどうするのか考えてみた。
結論から言うと、何も変えることはしない、これまで通りで行く。

グループLINE はとても有効なツールだと思うし、業務でも使えると思う。
例えば、数名の職場で業務用の グループLINE を使うことを考えてみる。

 ・その職場で、いま何が課題か 何をなすべきかは 当然共有されてるはず
 ・なので、何についての会話なのか分からないのは分からない方がおかしい
 ・また、参加メンバーも日常的に顔を会わせてるメンバーで、その性格も互いにわかってるはず
 ・グループLINE での投稿見ても相手の顔が浮かび、少しの工夫で表情も伝わるはず

では、私が参加した とある特定の活動のための グループLINE もしくは オープンチャットについてはどうか。

 ・参加メンバーは、その活動のためにたまたま集まった人たちで、互いに面識ない人が大半
 ・互いの性格やバックグラウンドも、当然 顔も分からない
 ・この状況では、純粋な会話はなかなか難しいような気がする
 ・事務局からのお知らせ には、とても有効
 ・特に大事なことは、ノートいまとめてもらえばさらに便利
 ・事務局からの投げかけ(例:お手伝い募集)に対し、メンバーから返信するのも有効
 ・メンバー間の会話になった場合には、少し留意する必要がある

もし、今後も同様の グループLINE もしくは オープンチャットに参加することがあるとしたら、最後の「留意」に関して、バックグランドを共有していない相手との会話に際しては、私としては「論点を整理し、誤解を与えないよう丁寧な文章を書く」ことで対応していく。
つまりは、これまで通りの対応をすることにした。

歳をとると話が長いだけでしかも頑固だと自分でも思うが、これが今回の結論。

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