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マンション総会で亡きサダさんを想う

本日はマンションの総会。僕は1年間理事長を勤めてきたが、本日をもって任務を終了した。

実は昨年、理事長に立候補した。一度くらいマンションの仕事をするのも悪くない、と想ったからだ。
1年前、隣にいて一緒に役員だったのが、マンションの隣人で80歳を過ぎた白髪でダンディーな明るい老人、サダさんだ。

そのサダさんは今日は隣にいなかった。
いや、いなくなったのは半年前なのだが、今日の総会で半年振りにいない、ということを想いだした、というのが実際のところだ。

僕は昨年任期の途中、サダさんのマンションの仕事を受け継いだ。僕の理事長に加えてサダさんが担当だった会計も兼任することになった。

そして、本日、僕はサダさんの仕事も無事に終えた。


サダさんは去年の夏、亡くなった。

サダさんはいつも笑顔で声をかけてくれたマンションの隣人であり、僕と年の差が30歳近くもある80歳を過ぎた友人だった。

サダさんは毎朝必ず犬の散歩をする。
朝、僕が元気なさそうに会社に出勤する際に、犬の散歩から帰ってきたばかりのサダさんが「おはよう!いってらっしゃい!」と声をかけてくれていた。
犬は高齢の雄のダックスフンドである。
かつて事故にあって片足をひきずるダックスフンドのことを、「まだまだがんばっているよ。」と自慢していた。

サダさんは僕にとって元気の元だった。

サダさんはいつもニコニコ笑顔だが、週末になると金色のボタンのついた紺色のブレザーを着て、地元のボランティアクラブに出かけるダンディーな老人だった。

昨年の夏、サダさんが、脳卒中で半身不随になった状態で車椅子に乗っていた後ろ姿を見た。普段は見ない息子さんと思われる中年の男の方が、車椅子を押し、崩れそうな背中を支えていた。

僕はその姿を正面から見られず、あろうことか目をそらしてしまったのだ。

見てはいけない、と想ったからだ。

顔を見れなかった。見ることができたのは後ろ姿だけ。

そして、これがサダさんを見た最後となってしまった。 

きちんとサダさんのお顔を見れなかったことを今でも悔やんでいる。

その1週間後にサダさんは亡くなった、と葬儀が終わったばかりの息子さんに聞いた。

僕は、毎朝マンションでおはようと声をかけてくれた大切な隣人を失った。

希望の見えない毎日の中で、毎朝必ずダックスフンドと一緒に笑顔で声をかけてくれるかけがいの無い存在であるサダさんはもういなかった。

サダさんはマンション住民の中でもベテランで、総会では、いつも住民のわがままな個人主義的な発言がとびかう中で、ひとり落ち着き、大人の熟成した意見を述べて、周りを静かにまとめる、そんな役割を果たしていた。

サダさんはいつもにこにこして笑顔だが、言うべきことは言う。ひとりよがりな意見に振り回されず、常に全体の為に考える。
一本のしっかりした筋が通ったダンディーな80歳を過ぎた老人だった。

休日のマンションの大掃除には、いつも率先して、マンション前の側溝の重い蓋を開けて、泥をスコップで取り払う重労働をされていた。
サダさんは70歳過ぎても毎回必ず参加されていた。

今日、マンションの理事長席に座っていた僕は、そのサダさんを思いだしだ。
サダさんの為にもしっかり言うべきことは言わないといけない、と想った。 


サダさん、お世話になりました。天国に逝って半年たちましたね。
僕はサダさんの想いを継いでマンションの役員の任期を終了しました。

いつも声をかけてくれてありがとうございました。
安らかに眠っていてくださいね。

僕は自分のことに精一杯で、サダさんのように若い人を励ますような存在にはまだなれていません。
それでも、少しでもサダさんに近づければ、と想います。

お世話になった人のことを想う。たまにはそういう時間を持つことの大事さ。
いい人に会えたというのは本当に幸せなこと。

当たり前だけれど大事なことを感じた。
サダさん、ゆっくりお休みください。

遺志は継がせていただきます。誰にも言っていませんけどね。

 


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