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居場所の大事さ

1月の会社組織改正で、会社は若返りを図り、50歳を過ぎた僕は、明らかに会社で大事なラインから外されたことを感じた。居場所が無くなってきたのだ。年齢を考えると、止むをえない。

居場所が無いというのは実に辛いものだ。周りに人が沢山いるのに、自分だけ孤独なのだ。不思議なことに、独りでいる方が気が楽なくらいだ。周囲に人がいるのに、あたかも自分の存在が無いかのように動いていく会社にいると、余計に孤独が身に染みて辛い。

例年にも増して冷える冬、そんなことを感じながら、かろうじて会社に通っている。

そんな生活の中、NHK-Eテレの番組で、もっと過酷な環境で、居場所を求めて苦しむ若者たちを知る。

その若者とは養護施設で育ち、18歳で施設を卒業した、身寄りのない、若者たちだ。彼らは例外なく18歳で施設を出て自立し、就職して独りで生計を立てないといけない。そんな過酷な状況に、今回のコロナが追い打ちをかけた。

失業、給料削減、食べるものにも欠き、頼る人もいず、孤独を抱えてヘルプを求めている。居場所が無い。家に帰れば本当に独り。ステイホームしてもつながる家族もいないので、本当に孤独になる。

彼らの辛さに比べれば、僕の会社の孤独なんて大したものではない、と番組を見ながら、自分を恥じた。

僕が孤独で辛いといっても、会社という上下関係、利害関係でつながった虚構から振り落とされた程度で、家に帰れば、家族という真実の関係を感じられる居場所が待っている。

しかし、養護施設を卒業した若者は、社会で孤独を感じ、家でも孤独を感じ、どこに行っても、孤独が続く。

僕は自分が追い込まれている、と思っていたが、彼らの追い込まれている環境に比べれば、大したことではない。

しかし、共通点がある。必要なのは心の居場所なのだ。

心と心が通じ合える居場所。深いところで共感できる人達と安心して交流できる場所。人が生きるには、そうした安心の場所が必要なのだ。

人には居場所が必要である。10代の彼らにも必要だし、50歳の僕にも必要なのだ。その点で変わりはない。残りの人生、彼らのような前途のある若者にどういう居場所を提供できるか、僕ら中年に何かすることを求められている、と感じた。






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