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例の前座のやつ

1966年7月3日

56年前の本日、羽田空港からThe Beatlesご一行は短い日本での滞在を終え、次の公演地であるフィリピンへ旅立ちました。「Anthlogy」での発言を見るに、このフィリピン公演と並んで日本公演もあまり良い思い出ではなさそうに感じたんですが、実際はどうだったんでしょうか。表立って悪く言ってるのも見たことないですが、違和感はとてもあったくらいの感じでしょうか。

そんなBeatles日本公演で

現在の日本では本編以上に有名かもしれないザ・ドリフターズの前座出演。半年前くらいにもTwitterでそこそこ話題になってましたね。「ドリフのバンド演奏、上手い!」みたいに。俗に言うビートルズおじさん方が「いやあれはね・・・」と割り込むのを我慢してる様子も伺えてそっちにグッときました。盛り上がりも一段落してますし専門書などでは既に色々言及されてるので改めて書いておきますが、あれ基本的に演奏してるのはブルージーンズですよね。でもこれは、「本当は演奏が・・・」みたいな話ではなくドラムだけは加藤茶が叩いてるのは、諸々の問題があったと思います。この日披露した「Long Tall Sally」はこちらの動画

で「ビートルズ来日学」著者の宮永正隆氏が語っているように元々あった長めのネタの抜粋だったとのことなので、ジャズ喫茶などでは本人達で演奏していたのでしょう。弦楽器類(ちなみに、荒井注は本来のネタではちゃんと鍵盤を弾いていたのでは?)が演奏できなかった(或いはさせてもらえなかった)のは、Beatlesと同じメインステージで演じることになったので、同じアンプに繋ぐわけにもいかないし持ち込んで別に置くわけにもいかないしって問題が一番大きいのではと僕は思います。

ドリフ版「Long Tall Sally」

ネタ自体の見どころとしては、曲中の「笑い」の部分を高木ブーに任せているというのがドリフの初期を感じさせるのではないでしょうか。あの部分唐突過ぎるよなぁと思っていたのですが、上に貼った動画内で「長いネタの一部抜粋だった」と知り納得しました。

演奏に注目しましょう

先ほど演奏自体はブルージーンズと書きましたが、これも映像をよく見ればわかると思うんですよね。単純に手と音が合ってないと思います。途中いかりや長介も仲本工事も手が楽器から離れる瞬間があるのですが、それでも音はちゃんと鳴っているし。いや、そんなに鮮明な映像ではないのだからそれは判らないという諸兄は、高木ブーが走り出す間奏ならわかってもらえるのではないでしょうか。あの「The エレキ!」って感じのギターソロ、見える範囲で明らかに誰も弾いてないでしょ。ってことはブルージーンズと言えば寺内タケシ、じゃああのソロは寺内タケシか!と結論に達するのはまだ早い。実は寺内タケシは昭和41年3月に病気のためブルージーンズを脱退しており、この時期の寺内タケシは休養期になります。GS路線のバニーズに向けた準備か既に練習に入って木刀でビシビシしごいてた頃かもしれません。じゃああのギターソロは加瀬邦彦か!って結論も少し待ちましょう。加瀬邦彦は直前の5月に脱退。後年よく「前座をやるとBeatlesが見られないと聞いたので辞めた」と語っていましたが、多分本当はワイルドワンズ結成のためが一番大きいと思いますよ。タイミング的に一致したからネタとしてそう言ってた部分はあったと思います。鳥塚しげきの談話とかによると、加瀬邦彦がブルージーンズ在籍時に声はかかっていたようですからね。あとおそらくですが、寺内タケシ脱退後のブルージーンズでエレキの伝統を守ろう、或いは旧態依然とした専属シンガー+バンドみたいな方針にも乗れなかった部分はあるんじゃないかと思います。それこそこのBeatles前座でのブルージーンズの演奏を聴くとそういう方針は打ち出されていたのではと思うんですよね。そう思って「Long Tall Sally」間奏のギターソロを聴くと、エレキバンドとしての意地というか伝統を守ろうという心意気を感じさせて僕は胸が熱くなります。ちなみに、じゃああれは誰が弾いてるの?ってのは岡本和夫(寺内加瀬在籍時はサードギター、他のメンバーが続々辞めていった後も残った人)じゃない?としか言えないのですが。

ツインドラムだったのか?

そんな中で、映像でも確認できるようにドリフの中で加藤茶だけは本当にドラムを叩いているようです。加藤茶の音と手は一応合ってると思います。下手側のブルージーンズのセットを使ってのドラム演奏で、この辺も先のアンプの問題と同じでまさかリンゴのドラムを使うのもねぇってことだと思います。さて、「ビートルズ来日学」によるとジャッキー吉川がドラムで加わりツインドラムだったという証言が出てきます。でも実際の音を聴くとドラムが2つ入ってるとは思えないんですよね。そして何よりもジャッキー吉川のドラムはこんな軽い音ではないはずです。で、僕が出した結論はサビで他のドリフメンバーがこける際に出している「バン!」って音をジャッキー吉川が足しているだけだと思います。あそこは加藤茶の手と音が合ってないように見えるし、バスタム一発じゃあそこまでの音にはならないと思うんですよね。音の太さから言っても、おそらくジャッキー吉川がバスドラとバスタムで音を足しているのではと思われます。ドリフ登場時のドラムロールと最後のお囃子風もジャッキー吉川でしょう。ブルーコメッツファンだった母曰くジャッキー吉川は鬼のようにいい人らしいのでサービスですかね。見た目は結構強面ですが。

2種類の映像

このBeatles日本公演の映像、6月30日分と7月1日(昼)分があるのは有名な話です。6月30日分はBeatles側からNG(と言っても本人たちが見てNG出したわけじゃないのですが)となり、再収録となった7月1日分が当時オンエアされたもの。6月30日分はお蔵入りとなったのですが、何故か後年計3回再放送されたのは6月30日分となり、映像ソフトとして発売までされます。7月1日分はBeatles側が持ち帰った(と言っても本人たちの鞄につめたりしたわけじゃないですが)とされ、初回オンエア後7月1日分が公に陽の目を見るのは「Anthology」まで待つことになります。でも、それまでもファンクラブ主催の上映会とかでは7月1日分も流したりしてましたけどね。一応Apple公認だったはず。流出対策として1曲抜いた状態で借りられたみたいな話があったのを覚えているので、その形で世界各地に貸し出してたんじゃないですかねぇ。僕が見た時は確か「Nowhere Man」が抜かれてたんじゃないかな。何故6月30日分がNGになったのかは複数要素はあるでしょうが、最大はマイクの問題じゃないかと思われます。最初から最後まで安定しない。でも声が拾えてないってほどではない。このマイク問題に関してはいつか僕の考察を書きます。そしてミステリーと言うか深く考えるとあまりよろしくない事ではあるのですが、現在動画サイトなどで見られるBeatles来日公演、何故か7月1日分の方もちゃんと高画質なんですよね。6月30日分は1988年に再放送(余談ですが、この放送をきっかけにBeatlesを本格的に聴き始めました。その日のうちに親に銀座のハンターに連れて行ってもらい初めてレコードを買いました。初めてレコードを買った日付まで覚えているのはそのせいです)され1993年にはソフト化までされてるにも関わらず、全編の放送は1966年以降なく「Anthology」でもほんの部分的使用だった7月1日分の方も綺麗な画質かつ前座も含めた完全形で見られる。不思議な話ですねー。

なので当然

前座映像も2種類あります。演目的には本編と同じく全く同じです。特にドリフ部分に関しては過去に様々なテレビ番組でも流されているので、幾つかソースがあります。基本的にテレビで流れたのは6月30日分ですね。でも、Twitterとかで切り取られた動画だとどちらが出てくるかわかりません。実際上で書いた少し前にTwitterで広がったのは確か7月1日分でした。では、この2つのドリフ前座映像を見分けるコツをお教えしましょう。上の動画で宮永正隆氏は最後のいかりや長介のセリフが「退散!」か「逃げろ!」かがわかりやすいと語っています。確かにそこが一番わかりやすいです。でもこれは最後まで見ないと出てこない。この辺の研究を丹念にされているアダチカツノリさんのブログでは「間奏での動きとマイクシールド」による見分け方をされています。

これは間奏まで待てば良いので最後のいかりや長介のセリフで判断するより半分くらいで判別可能ですね。ちなみに、このアダチカツノリさんのサイトの「ポールが来日時行きたがった外人が喜ぶお風呂屋」の場所に関する検証は結果的に大長編となり読みごたえもあるので必読です。

では、結論

既に多くの人が指摘していることではあるのですが、僕はやはりマイクの揺れでこの2種類を特定するのが好きです。上に書きましたようにドリフはBeatlesと同じメインステージでの披露になりますので、アンプは使えなくてもマイクは同一の物を使用しているのです。なので当然6月30日分のマイクは安定しません。それを踏まえて6月30日分のドリフ部分を見てみましょう。序盤から仲本工事がマイクを気にしている様子が伺えないでしょうか。しかしここでトラップが。6月30日分は既にマイクの揺れがあったのか当然のようにマイク位置を直して歌い出すのですが、7月1日分を見てもらうと仲本工事は前日のマイクの揺れが記憶にあったのか、歌い出す前にマイクに触るのです。ここで「あー、はいはいマイク気になるね」と早々に6月30日分と判断してしまうと間違った判断になるので気を付けましょう。7月1日分は以後マイクを気にすることなく気持ちよく歌ってます。6月30日分は仲本工事も何回かマイクを直しますが、最後の加藤茶の「ばっかみたい」で完全にマイクが横を向いてるのを確認できるはずです。まぁ正直、上の動画で宮永氏も触れているようにカット割りに結構違いもあるし、尾藤イサオがフライング気味に出てくるとか他の違いもあるんですが、僕推奨の見分け方はマイクの揺れです。

ドリフによる「涙くん愛しちゃったのよ」

上で貼った宮永氏の動画にもアダチカツノリ氏の別記事にも出てくるドリフのメンバーが一つのマイクを囲んでいる写真の問題ですが、どのタイミングで撮られた写真かは謎ではありますね。写りこんでいる三原綱木の油断しきった背中の感じからリハーサルの様子とも考えられるし、本番の別日か
映像が残ってない部分の可能性も捨てきれない。というのは、今回この記事を書くために色々探したんですが見つからなかったけど、昔何かでブルージーンズは「津軽じょんがら節」を、ブルーコメッツは「青い瞳」を前座で演奏したって記事を読んだ記憶があるんですよね。アダチカツノリ氏の他記事にある当日の実況記事によると前座は2部構成だったのは確実のようです。

検証されているように記事中の時系列に沿うとドリフの再登場とブルージーンズの「津軽じょんがら節」に関しては合うんですが、ブルーコメッツの「青い瞳」に関してはこの記事に記述はありません。テレビでやらせ1位を続けた結果大ヒットしたというこの「青い瞳」は英語版のシングル発売が66年3月、好評を受けて日本語版の発売は66年7月となり、このタイミングで披露されていても不思議ではないですよね。先ほどの記事の時間を当てはめていくと、6時53分ごろにブルージーンズが「津軽じょんがら節」の演奏を開始、次に実況が時間を伝えるのが7時5分となっているのでこの間は12分。「津軽じょんがら節」も初期型(しかもテリー寺内抜き!)なので長く見積もっても4分とすれば8分間は空白の時間が生じ、「青い瞳」はこの8分間に含まれているのではと推測されます。ついでに、「青い瞳」も3分弱と考えると残りの5分に長年「ワークソングメドレー」として疑問を投げかけていた桜井五郎による「フォークソングメドレー」も入れられるのではないでしょうか。ちなみに、桜井五郎とブルージーンズの形だとこれが時期的に近そうですね。

周りの外国人オーディエンスが浴衣なことも踏まえるとおそらく季節は夏だし、ブルージーンズのメンバー的にも同じだと思われます。ともかく、ブルーコメッツの単独演奏と桜井五郎の演目の時間を埋めていくと、これで一応全前座出演者が一曲はメインの曲があったという辻褄もあいます。ついでに、他の前座出演者だと尾藤イサオの所作がどれも美しく、痺れてしまいます。

日本のファンにとってこの時期は特別

毎年なんだかんだで話題になったり、思い出したりするBeatles日本公演。僕もこの時期の天候には「蒸し暑いね」とJALの法被を着てる気分で言ってたりします。今年は言う機会少なかったけど。今度はちゃんとBeatlesの演奏などに関して書こうと思いつつ、今日はこの辺で。

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