ダメな自分がつくづく嫌になる
やっぱりアレはいかん。取り乱してしまったなー。ダメダメだー!
前期高齢者歴も早や2年。そんな私の生活信条は~
驕らない。ひけらかさない。謙虚に。慎ましく。素直に。優しく。丁寧に。感謝の心を忘れず。
そんな思いを胸に秘め日々を過ごしている。あーそれなのにそれなのに‥
最近立て続けに二件、見っともない過ちを犯してしまった。
私には note のプロフィールには書いていない趣味がある。
それは、"孫の溺愛" 。
だが普段はそれを人に見せないように我慢している。私にまだ孫がいない頃、孫のいる友人や同僚の "過剰な孫自慢" に辟易することがあり(それは羨望や嫉妬もあったのだが)、自分が同じことをしないよう自制しているのだ。
私には、孫①♂4歳、孫②♀3歳、孫③♀1歳がいる。3人ともとても可愛い。「目の中に入れても痛くない」なる過激な慣用句を発明した人に、何らかの文学賞を授けたいぐらいだ。しかもうちの孫3人は可愛いだけでなく利発さも際立っており、また気立ても申し分ない‥‥
いかんいかん、また孫自慢が迸(ほとばし)ってしまった。
今回わたしが犯した二件の過ちは、"孫自慢のほとばしり" によるもの。
そのひとつは職場でのこと。私より少し年上の同僚の方が、唐突にお孫さん(♀)の写真を私に見せてきた。それは七五三での着物姿で、写真館で撮ったものやご家族のスナップだった。反射的に私は、先日孫②が七五三で熱田神宮を参った時の可愛い写真をスマホから取り出して見せ返した。お互い自分方の写真を見せるばかり。相手の写真はろくに見もしないし話もほぼ聞かない。極めてギクシャクした応酬に終始した。そんなやり取りを振り返り、私は自分の大人げなくて無作法な態度を恥ずかしく思った。だが‥‥
その一週間ほど後、友人の運転でゴルフ場に向かう車中での会話
友人「うちの孫は車が好きで車の名前をすぐ覚えるんだ。街で走っている車の名前を言ったりもするよ。」
私「うちの孫はほとんどの国旗が判るよ。県の名前もすぐ覚えちゃったし。ひらがなとカタカナは全部読めて簡単な漢字も読めちゃうな。英単語も結構読めたりするんだよ。すごいよー、びっくりしちゃうよなー」
友人「お前、自分の孫ちょっと褒め過ぎじゃないかー」
私 「‥‥‥‥‥だねぇ」
溺愛する孫の話を普段は我慢しているのだが、きっかけがあると一気にほとばしるきらいがあるようだ。はしたない所業だったと深く反省している。
以前私は note で、"老いによる会話力の低下" を憂えた。その原因は、脳のある部分の衰えにより「言いたいと思ったら止められない」「他人の話なんか聞きたくない」傾向が強まり、スムーズな会話ができなくなると書いた。
今回の私の言動は、「老年性会話力欠乏症」の典型的な症例と言っていいだろう。驕り、ひけらかし、傲慢で、厚かましい。まるで目指す老人像とは真逆に向かっている。自覚症状がある今のうちに修正しよう。
【他人の孫ばなしに直面した際の心得】
・よく話を聞く ・写真などをよく見る ・対抗しない ・冷静さを失わない
***
私の真摯な反省を具象化するために本稿を書きました。
今回の関係者の皆さまには慎んでお詫び申し上げます。
もう過ちは繰り返しません。
< 了 >
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?