士師記 19章
彼らがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸をたたいて、家の主人である老人にこう言った。
「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」
家の主人は彼らのところに出て行って言った。
「兄弟たちよ、それはいけない。悪いことをしないでください。この人がわたしの家に入った後で、そのような非道なふるまいは許されない。
ここに処女であるわたしの娘と、あの人の側女がいる。
この二人を連れ出すから、辱め、思いどおりにするがよい。だがあの人には非道なふるまいをしてはならない。」
しかし、人々は彼に耳を貸そうとしなかった。
男が側女をつかんで、外にいる人々のところへ押し出すと、彼らは彼女を知り、一晩中朝になるまでもてあそび、朝の光が射すころようやく彼女を放した。
朝になるころ、女は主人のいる家の入り口までたどりつき、明るくなるまでそこに倒れていた。
彼女の主人が朝起きて、旅を続けようと戸を開け、外に出て見ると、自分の側女が家の入り口で手を敷居にかけて倒れていた。
士師記 19:22-27
彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、 わめきたてた。
「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」
ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、言った。
「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。
実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。
皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」
創世記 19:4-8
士師記における最後のエピソード、補遺ニ、ベニヤミン族の物語の始まり。
創世記の18:1-10におけるアブラハムへのイサク誕生の予告や、それに続く、ソドムにおいてロトが御使いをもてなすという物語類型、神の使いという旅人を知らずのうちにもてなす義人に幸福が訪れるという物語の類型が、神を抜きにして士師たちの世代という"現代"に語り直される。
中心人物であるレビ人は旅の途中、"異教徒の街"であるエルサレムに滞在することを快く思わず(士師記 19:10-12)、イスラエル人たちの街に泊まることにする。
街に滞在している老人は、旅人であるレビ人や、その側女たちをもてなし、自分の家に招くが、モラルが崩壊している街の住民たちに客である旅人たちが強姦されそうになる…
士師記では我が子を神のために生贄として捧げるエフタや、先住民である異教徒たちを"唯一の神"の名により征服するダン族など、イスラエルの歴史が語り直される、あるいは神なき歴史の循環が語られることが多い。
今回の章ではソドムとロトのエピソードが神を抜きにして語られる。
創世記において、ロトは神の介入があったが故に自分の娘を暴漢たちに差し出さずに済んだ。
士師記では神は沈黙している。
丁度、士師記11章でエフタが自分の娘を神に捧げる生贄としようとした際に、アブラハムとイサクの逸話と異なり、神の介入が無かったように。
暴漢たちに提供されたレビ人の側女は夜通し強姦され、息絶える。彼女は登場から死に至るまで個人名を呼ばれることも無ければただ一言の発言も無い。
ただ一言の発話も無く、名前を誰かに呼ばれもせず、ただただ彼女は強姦され、死ぬ。
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