士師記14章

「父母は言った。


「お前の兄弟の娘や同族の中に、女がいないとでも言うのか。無割礼のペリシテ人の中から妻を迎えようとは。」


だがサムソンは父に、「彼女をわたしの妻として迎えてください。わたしは彼女が好きです」と願った。


父母にはこれが主の御計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることが分からなかった。


当時、ペリシテ人イスラエルを支配していた。」
‭‭士師記‬ ‭14:3-4‬



「その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスエルサレムに来られると聞き、 なつめやしの枝を持って迎えに出た。


そして、叫び続けた。


「ホサナ。 主の名によって来られる方に、祝福があるように、 イスラエルの王に。」


エスはろばの子を見つけて、お乗りになった。


次のように書いてあるとおりである。


「シオンの娘よ、恐れるな。 見よ、お前の王がおいでになる、 ろばの子に乗って。」


弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がそのとおりにイエスにしたということを思い出した。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭12:12-16‬



サムソンの物語。サムソンというと"サムソンとデリラ"の物語…つまり女性が自分に恋愛感情を抱く敵方の男性を騙して裏切る物語であり、数多くの二次創作作品に霊感を与えてきた物語である。

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士師記14章はサムソンのメインエピソードであるデリラとのそれではなく、獅子と蜂蜜の謎かけのエピソードだが


「敵方のペリシテ人の女性に対しユダヤ人サムソンが恋をする。


彼の持つ秘密を知るためにペリシテ人たちは彼が愛する女性を使う。


愛する女性に


『私を愛しているのに、なぜ心の一切を打ち明けられないのか』


と懇願されたサムソンは秘密を告白してしまう。


それによりペリシテ人たちは偽りの勝利を得るが、最終的にサムソンがカタストロフとカタルシスをもたらす。」


という物語のストーリーラインは、"獅子と蜂蜜"のそれも"サムソンとデリラ"のそれも相似である。



「サムソンは父母と共に、ティムナに向けて下って行った。ティムナのぶどう畑まで来たところ、一頭の若い獅子がほえながら向かって来た。


(中略)


彼は手で蜜をかき集め、歩きながら食べた。また父母のところに行ってそれを差し出したので、彼らも食べた。しかし、その蜜が獅子の死骸からかき集めたものだとは言わなかった。」
‭‭士師記‬ ‭14:9‬,5‬



サムソンはナジル人の戒のうち二つ、酔わせるものであるぶどうのそれと、死体に代表される穢れのそれを破った。


残るは一つ、神に自らを捧げている証である髪を損なわないという戒だけである。



サムソンがペリシテ人の女性を愛していると両親に告げた時、愛する女性に秘密を教えてくれと懇願されている時、それがどのような物語、聖書的に表現するならば神の計画なのかは誰にもわからなかった。


物語はエンドロールが流れて初めて伏線なり、象徴なりが理解できる。これは個々の人間の物語も同じではないか。

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