第二コリント 11章

だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。


だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。


誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭11:29-30‬



そこで、イエスは言われた。


「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。


しかし、あなたがたはそれではいけない。


あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。


食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。


しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭22:25-27‬



外見がみすぼらしく、話ぶりが素人の宗教者パウロは己の弱さを誇る。



ルックスがよく、笑顔が素敵で、堂々とした体格、自信に溢れた物腰で、話し方にも力がある…


神のメッセージを伝える役割はそのような人間にこそ相応しい。普通ならばそうなる。



しかしながら神は卑しい土の器であるパウロを伝道者として選んだ。




:わたしのことを、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」と言う者たちがいるからです。
‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭10:10‬


:ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。


この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。


わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。


わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。


わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。
‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭4:7-11‬


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