サムエル記上 1章
エルカナは毎年自分の町からシロに上り、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。
シロには、エリの二人の息子ホフニとピネハスがおり、祭司として主に仕えていた。
いけにえをささげる日には、エルカナは妻ペニナとその息子たち、娘たちにそれぞれの分け前を与え、 ハンナには一人分を与えた。
彼はハンナを愛していたが、主はハンナの胎を閉ざしておられた。
彼女を敵と見るペニナは、主が子供をお授けにならないことでハンナを思い悩ませ、苦しめた。
毎年このようにして、ハンナが主の家に上るたびに、彼女はペニナのことで苦しんだ。
今度もハンナは泣いて、何も食べようとしなかった。
サムエル記上 1:3-7
次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。
あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。
まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。
わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。
あなたがたの間で、だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません。
それでは、一緒に集まっても、主の晩餐を食べることにならないのです。
コリントの信徒への手紙一 11:17-20 新共同訳
今日より士師時代から王権時代への橋渡し的役割を持つサムエル記の再読。
物語は、聖書で繰り返し語られるモチーフである不妊の女性が子供を授かるエピソードから始まる。
ユダヤ教における生贄の儀式は神と人の共食関係をイメージさせるものであり、それはいうまでもなく喜びの儀式である。
が、この物語のハンナは喜べない。
神と人が共に食事をする場において、彼女は第二婦人にイヤミでイジメられている。
本来は神と人が共に喜び祝う和解の場において、人と人ですら共に交わり食事をすることができない、和解ができていない。
これは数千年前の中東だけではなく、今日的な話でもあるのではないか。
:その名をマノアという一人の男がいた。
彼はダンの氏族に属し、ツォルアの出身であった。
彼の妻は不妊の女で、子を産んだことがなかった。
主の御使いが彼女に現れて言った。
「あなたは不妊の女で、子を産んだことがない。
だが、身ごもって男の子を産むであろう。
今後、ぶどう酒や強い飲み物を飲まず、汚れた物も一切食べないように気をつけよ。
あなたは身ごもって男の子を産む。
その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。
彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」
士師記 13:2-5
:二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。
しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。
ルカによる福音書 1:6-7
:焼き尽くす献げ物、いけにえ、十分の一の献げ物、収穫物の献納物、満願の献げ物、随意の献げ物、牛や羊の初子などをそこに携えて行き、 あなたたちの神、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。
あなたの神、主はあなたを祝福されているからである。
申命記 12:6-7
:だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。
マタイによる福音書 5:23-24
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