サムエル記上 4章

戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした。


兵士たちが陣営に戻ると、イスラエルの長老たちは言った。


「なぜ主は今日、我々がペリシテ軍によって打ち負かされるままにされたのか。


主の契約の箱をシロから我々のもとに運んで来よう。


そうすれば、主が我々のただ中に来て、敵の手から救ってくださるだろう。」
‭‭サムエル記上‬ ‭4:2-3‬




盗み、殺し、姦淫し、偽って誓い、バアルに香をたき、知ることのなかった異教の神々に従いながら、 わたしの名によって呼ばれるこの神殿に来てわたしの前に立ち、『救われた』と言うのか。


お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。


わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。


そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。


シロのわたしの聖所に行ってみよ。かつてわたしはそこにわたしの名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、わたしがそれをどのようにしたかを見るがよい。
‭‭エレミヤ書‬ ‭7:9-12‬




多神教徒かつ偶像崇拝者であるペリシテ人たちとイスラエルが戦争が起きるが、イスラエル側が敗北する。




イスラエルの長老たちは、十戒を刻んだ石板を収めた聖櫃と共に戦うならば神が勝利をもたらすだろうと誤った考えを抱き、当時聖地であったシロよりそれを運んでこさせる。




当たり前だが、聖地にしても聖櫃にしても神殿にしても教会にしても、神の名で呼ばれるものの中に神が囚われているわけではない。




神の名で呼ばれるもの、場所に神秘的な力を感じそれに頼る。それも一種の偶像崇拝だろう。


:戦いは広がり、イスラエル軍はペリシテ軍に打ち負かされて、この野戦でおよそ四千の兵士が討ち死にした。
‭‭サムエル記上‬ ‭4:2‬


:主はこう言われる。


天はわたしの王座、地はわが足台。


あなたたちはどこに わたしのために神殿を建てうるか。


何がわたしの安息の場となりうるか。


これらはすべて、わたしの手が造り これらはすべて、それゆえに存在すると 主は言われる。


わたしが顧みるのは 苦しむ人、霊の砕かれた人 わたしの言葉におののく人。
‭‭イザヤ書‬ ‭66:1-2‬


:主からエレミヤに臨んだ言葉。


主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。


「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。


イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。


主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。」
‭‭エレミヤ書‬ ‭7:1-4‬


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