ルツ記1章

 ナオミは言った。


「あのとおり、あなたの相嫁は自分の民、自分の神のもとへ帰って行こうとしている。


あなたも後を追って行きなさい。」


ルツは言った。


「あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。


わたしは、あなたの行かれる所に行き お泊まりになる所に泊まります。


あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。


(中略)


同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。


二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた。‭‭


ルツ記‬ ‭1:15-16, 18-19‬ ‭新共同訳‬‬



ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。


神の国は、見える形では来ない。


『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。


実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭17:20-21‬



旧約の短編。ルツ記の何度目かの再読を始める。


ダビデの先祖であり、ナザレのイエスの法的な先祖(マタイ 1:5)でもあるルツが主人公の短編。


ルツは申命記23:4において主の集会に「十代目になっても加ってはならない」とされたモアブ人である。(ルツ1:4)



彼女が偶像崇拝から離れて神の道に入る過程がこの一章には描かれているが、それは別に一神教の教義が素晴らしかったからとか、儀式が美しかったからとか、神学が体系的だったから…


ではなく、ナオミというイスラエル人の姑との関係性が良好であり、深かったからという理由が大きいのだろうなという感じ。



こういったコミュニティや対人関係がきっかけで信仰の道に入るというのは、得てして不純な信仰ともみなされがちだが


ルツはきちんと「旅をつづけ、ベツレヘムに着い」ている。



旅のきっかけが何か、旅の途中がどのようなものかも重要ではあるが、旅の目的地に辿り着くかどうかはそれよりも重要ではないか。

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