第二コリント 12章

わたしはそちらに三度目の訪問をしようと準備しているのですが、あなたがたに負担はかけません。


わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。


子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです。


わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い、自分自身を使い果たしもしよう。
‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭12:14-15‬



「門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。


羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。


自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。」


ヨハネによる福音書‬ ‭10:3-4‬



コリントの教会の"父"であるパウロは他の書簡でも度々、福音を宣教する際には教会の負担とならないよう無料で宣教活動を行っていると語るが、本章でもそれが書かれている。



初代教会においても聖職者は労働せずに生活する権利を有していたが、パウロはまさにそれが福音宣教の妨げになると考え、その権利を行使しなかった。



パウロは相当金銭的には苦労したようだが、本章においてその苦労は親が子を養うようなものであり当然の苦労であると語る。



なぜならばパウロは、霊的な子供たちの持ち物…つまりは財産、労働力などの資源ではなく


一人一人に名前と顔がある子どもたちの魂が救われることを求めているからである。



この司牧への態度は、キリスト者か異邦人かを問わず、あらゆる羊飼いたちに今も示唆を与えるものではないか。


:わたしたちはあなたがたを広い心で受け入れていますが、あなたがたは自分で心を狭くしています。


子供たちに語るようにわたしは言いますが、あなたがたも同じように心を広くしてください。
‭‭コリントの信徒への手紙二‬ ‭6:12-13‬


:兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。


わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。
‭‭テサロニケの信徒への手紙一‬ ‭2:9‬


:あるいは、わたしとバルナバだけには、生活の資を得るための仕事をしなくてもよいという権利がないのですか。
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭9:6‬


:他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか。


しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。


かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます。
‭‭コリントの信徒への手紙一‬ ‭9:12‬


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