遠い日の、花火
恋の話ではないです。
幼い頃、姉に連れられて百貨店で開催されている「山下清展」に行った。その時多分小学校低学年くらい?で、きちんと絵を見たのは、この時がはじめてだったと思う。
当時私はフジテレビ系列で放送されていたドラマ『裸の大将放浪記』に夢中で、毎回テレビにかじりつく勢いで見ていた。芦屋雁之助さん扮する山下清がなんとも愛らしくユーモラスだった。坊主頭、ランニングシャツに半ズボン、リュックに傘、手にはスケッチブックとおむすび。少年がそのままおじさんになってしまったような姿が、幼心に面白かったのかもしれない。
内容は、画家山下清が全国津々浦々を放浪して、様々な風景と人に出会っていく人情ドラマだったと思う。けれど、胸を打つのはあの「ラストシーン」だ。
別れの日、宿のお礼にと清がちぎり絵を置いていく。人々はその絵を見て彼が天才画家、山下清だと出会った気づくのだ。すぐさま後を追いかけるも、その姿はもう見えない…というシーン。
そこでクローズアップされる一枚絵には、旅の風景が緻密に、色鮮やかに描かれていた。
山下清 「長岡の花火」
ちぎり絵という技法も、山下清という画家についても、このドラマではじめて知った。そして「これが、芸術家なんだ…!すごい!」と驚愕したのを覚えている。
今思い返せばドラマっぽく脚色やアレンジもたくさんしていたと思う。芦屋雁之助さん流の「山下清」像が純粋に魅力的だっただけかもしれない。
でもあの後、本物の山下清の作品を見たときに確信した。「この人は本当に凄い画家だ」展覧会で見たどの作品も、懐かしさと切なさと美しさが詰まっていた。よくわからないけど、おばあちゃん家に行きたくなって、ちょっとだけ泣きそうになった。不思議な感覚と感動だった。
小さく小さく刻まれた色紙。それをひとつひとつ指先に乗せ、丹念に貼り連ねていく。
気の遠くなるような作業…
私は想像する…
きっと目が紙にひっつくくらい、近づいて作業していたに違いない。
ここはこの色で、ここの部分はこの大きさで…食らいつくように貼り付けていったに違いない。
時々、ふと、顔をあげるのだろう。絵をぐっと離して見てみる。そこに広がるのは、果てのない風景。それを見た山下清は、にこっと屈託なく笑うのだ。たぶん、きっと。
山下清 「清とお地蔵様」
「良い絵は、その人をやさしくどこかへ誘ってくれる」山下清の作品を見ていると、そんな風に思えてくる。
そのあと、絵を見るのが大好きになり、たくさんの美術館にいった。そうして大人になって、アートに関わる仕事をはじめている。
何かを好きなことに、理由なんていらないのかもしれない。
ただ、あの時の遠い花火が、いまもずっと心の奥底で煌めいているだけなのだ。
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