雨あがりの夜空へ

昼間から降っていた雨は、夜になるといつの間にかすっかりと上がっていた。
この季節に雨上がりの夜空を眺めると、僕は決まってある日の出来事を思い出す。

それは中学3年生の頃のことだ。
いまから考えると遠い昔の話だ。
具体的に言うならばそれは前世紀の話だ。
自分で書いておいてなんだが、わざわざ前世紀なぞと言うとあまりにも昔の話のように思えるので、ここはひとつ平成の出来事だと言い直させてほしい。

この時期多くの中学3年生がそうであるように、僕も受験を控えて塾通いの毎日だった。
年号が変わった令和の中学3年生も、平成の中学3年生もそれは変わらない。
ただひとつ違うのは、僕が高校受験を控えた中学生だった当時は、いまのように家族が車で塾まで送り迎えをするということはまず無かったということだ。
いつの頃からか学習塾の前にはクルマがずらりと並んでいる光景が当たり前になって久しいけれど、当時親の送迎で通っている同級生はほとんどいなかった。
たいていが徒歩か自転車だ。
田舎だったからバスや電車で通う、という風潮もなかったし、自転車通学の生徒が多いこともあって学習塾へも自転車で通う生徒が大半だったように思う。
御多分に漏れず僕も自転車で塾に通う一人だった。
塾まではたしか自転車で15分ほどの距離で、歩いても行けないことはなかったが、自転車という便利な足があるのにわざわざ歩くこともあるまい。
滅多に雪が降ったり路面が凍結したりということがない地方だったこともあり、自転車に乗らないという選択はほぼなかった。

さて、その日は朝から雨が降っていた。
朝のうちはしとしとと遠慮がちに降っていた雨だったが、夕方を迎える頃には大粒になり風も出てきた。
こりゃあ塾に行くの大変だぞ…と思いながら雨ガッパを着込んでいると「あんた!この雨に自転車で行くの!?」と母が声をかけてきた。
そりゃそうだよ、だって歩いて行ったら時間かかるじゃんと答えると、だったら私がクルマで送るから自転車で行くのはやめなさいとのこと。
いまにして思うと大層ありがたい申し出ではあったが、何しろ当時は親の送り迎えという文化があまりない上に僕は反抗期の真っ只中。
そんな恥ずかしいことできるかよと母親の申し出を無視して自転車に飛び乗ったのだった。

塾に向かうにつれて雨も風も強くなっていく。
カッパがまるで役にたたないレベルの雨風により、塾に着く頃に僕はずぶ濡れといっていいレベルの有様になっていた。
周りの友達はというと、やはりというか自転車で来ているやつは一人もいなかった。
さすがの雨に皆送ってもらっていて、ずぶ濡れになりながら自転車で来るようなアホは他に誰もいなかった。
あまりのずぶ濡れっぷりに先生が見かねてタオルを貸してくれたが、何しろ2月の雨は寒い。
タオルで頭を拭きながらガチガチと震えていると学校でも同じクラスのM橋さんがやってきた。「ガリレオくん、自転車できたんだって?なにやってんの笑」
M橋さんは小学校から同じ学校で、それまで三度同じクラスになったことがあり、一度だけ同じ班になったことがある女子だ。
そして僕は小学生の頃からこのM橋さんのことが好きだった。
具体的に言えばそれは小学4年生の頃で、一度だけ同じ班になったときのキャンプから好きだった。「ガリレオくんのお母さん、こういうとき送ってくれるタイプじゃん。ほら、いつだったか自然学習のときもみんなの送り迎えしてくれたじゃない」
M橋さんの言う自然学習は、M橋さんとはじめて同じクラスになった小学3年生の頃の出来事。
近くの河原まで歩いていく手筈だったのが、途中の橋で事故があり、急遽クルマでの迂回移動を余儀なくされたというエピソードだ。
そしてそのとき運転をかって出たのが当時PTAをやっていた僕の母親だったというわけだ。
M橋さんがそんなことまで覚えていてくれたのは嬉しいけれど、くどいようだが当時の僕は中学3年生。母親の話はこっぱずかしい。
しかしここで「母親に送ってもらうのは恥ずかしかったから断ったんだ」というのはさらに恥ずかしい。
恥ずかしいから断った、などという子供っぽい理屈を、どうして好きな子に言えようか?
色々考えた末に出たのが
「いや、今日ちょうど親が家にいなくてさあ…」
我が家は自営業であり、母親は専業主婦。
知っている人にはバレバレな、どう考えても嘘っぽい言い訳である。
それを知ってか知らずかM橋さんは「ふぅん」とだけ言うと自分の席に戻っていった。

その日の授業で何を学んだのか、どの教科を勉強したのか、受験に備えて何を覚えたのかは、もうまったくさっぱりと覚えてないけれど、授業が終わったあとに先生に質問があり、少し教室に残っていたことだけは覚えている。
普段は授業が終わっても教室で、あるいは入り口で自転車にまたがりながら、友達たちとだらだらと駄弁っている生徒がそれなりにいるものの、その日に限ってはみな迎えが来るとあって早々に帰って行った。
僕が先生への質問を終えると教室にいるのはM橋さんだけになっていた。
「あれ?M橋さんどうしたの?」
期せずして二人きりになったことへの動揺からか、僕の声は少し震えていたように思う。
「迎えが来ないんだよね…どうしたんだろ、困ったなあ」
M橋さんはそう言うと、「まあここにいても先生が片付ける邪魔になっちゃうしとりあえず教室出よっか」とバッグを手にとった。僕も慌ててカバンを手にとり外に出る事にした。

外に出るといつの間にか雨はすっかり上がっていて、空には星空が広がっていた。
「えー!もう晴れちゃったのー?このまま降ったら明日は雪になると思ってたのに―」
M橋さんは心底残念そうに言ったが、この町では雪なんて10年に一度レベルでしかお目にかからない。あのまま降り続けていてもきっと雪にはならなかっただろう。
「いやいや、雨上がってよかったっつーの。だって帰るときまでさっきみたいな雨だったら俺、風邪ひいちゃうじゃんか」
と言いながら自転車のサドルを先ほど借りたタオルで拭いていると、
「あ、そうだった、ガリレオくん自転車だったね。ね!雨も上がったし迎えも来ないし自転車で乗せてってよ!」
M橋さんは無邪気にそう提案してきた。

今も昔も、平成も令和も、20世紀も21世紀であっても、わざわざ言うまでもなく自転車二人乗りはれっきとした道路交通法違反である。
具体的には2万円以下の罰金又は科料である。
道路交通法57条2項である。
各都道府県の公安委員会が定めた道路交通規則で原則違反とされているのである。
しかしながら当時の僕らは中学生。
運転免許を取得するのはまだ先の話であるし、身近に存在する道路交通法は「青は進め、赤は止まれ」だけである。
だからこのとき僕がまず言ったのは、
「見つかったら内申に影響あるよ!まずいよ!」
であった。
大事件でも起こしたら、さすがに影響はあるかもしれないけれど、普通内申書なんて悪いことは書くわけがない。
大人になった今ならばそう思えるけれど、当時の僕たちにとっての重大ごとは高校受験と内申書だった。
しかしM橋さんはあっけらかんとしていた。
「この時間に見てる人なんていないって。このあたり何もないし家の方向も一緒じゃん。大丈夫だって…あ、家わかんない?一度来たよね?覚えてる?」
一度M橋さんの家に行ったのは、一度だけ同じ班になった小学4年生の夏休み。
班員が誰かの家に集まって夏休みの勉強をするというナイスな宿題のおかげで訪れた僥倖だった。
もちろん忘れているはずもない。
しかしバッチリ覚えていると言うのは恥ずかしいし照れくさい。
「なんとなくはわかるけど…」
などと曖昧に答えていると、M橋さんはもう僕の自転車の荷台に座ってきた。
「さあはやくはやく!」

僕が積極的な女の子を好きになりがちなのは、生来の奥手な性格に加えて、きっとこのときのエピソードも多分に影響しているんだろうなあと思う。

どきまぎしながら自転車に乗ると、M橋さんの手が僕の腰に回ってきた。
―暖かい。学生服の下にパーカーまで着ているというのに、手のぬくもりなんて伝わってくるはずもないのに、まず思ったのはそれだった。
緊張を悟られないように、「じゃあ行くか…」と小声でつぶやくと、僕は自転車を漕ぎ始めた。

雨上がりの冬は空気が澄んでいて吐く息は真っ白で、夜空には星が輝いていた。
街灯も少ない田舎道を二人乗りで進む。
M橋さんはめずらしく何も言ってこない。
どうしよう、なにか話さないと……
M橋さんと話すときは、いつもM橋さんが何か話を振ってくれていて、それにおんぶにだっこだった僕は、いざ自分から何か話そうとすると頭の中が真っ白になってしまった。
いっそいまここで告白するか?
いやさすがにそれは…
でももう卒業までにこんなチャンスないんじゃ…頭の中がそればかりになってしまい、ますます会話の糸口が見つからない。
ふと見上げると空には星空が広がっていた。

「この雨にやられて~」

RCサクセションの名曲、「雨あがりの夜空に」。僕はこの曲が好きだった。

「エンジンいかれちまった」

名曲中の名曲だ。
しかしいま歌うような歌ではない。
何しろ当時としてもオールディーズナンバーで、普通の中学生は知っていようもない。
ミスチルやスピッツが出てきた時代の中学生はまず知らないであろう歌を歌ったところで困るに決まっている。
というか会話の代わりに歌うってミュージカルじゃあるまいしどうかしてるだろ。

「俺らのポンコツ とうとうつぶれちまった」

しかし僕は歌わずにはいられなかった。
雨あがりの夜空と、大好きな女の子と二人乗りしているという事実に敬意を表して歌わずにはいられなかった。

しかしそのとき奇跡は起きたんだ。

「「どうしたんだ ヘヘイベイベー バッテリーはビンビンだぜ」」

M橋さんが一緒に歌ってくれてる!?

「「いつものようにキメて ブッ飛ばそうぜー」」

どうしてM橋さんはこの歌を知ってるの?
RCサクセション好きなの?
いやそれより僕のことはどう思ってるの?
さっきまでと打って変わって、話したいこと聞きたいことが山ほど頭に浮かんできた。
でもそんなこと聞くよりも、いまはただM橋さんと一緒に歌っていたかった。

「「こんな夜に おまえに乗れないなんてー」」

「「こんな夜に 発車できないなんてー」」

気がつけばM橋さんの家に着いてしまっていた。
自転車を降りたM橋さんは照れくさそうに少し笑うと、
「じゃあ、また学校でね!ありがと、バイバイ!」と、笑顔で去っていった。

M橋さんが降りたあとの自転車はいつもと同じはずなのに妙に軽く感じて、なんだか物足りなさを感じた。

僕はきっと、生涯この夜のことを忘れないだろうと思いながら、自宅へと帰った。まあぜんぶ嘘なんですけど。

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