Galileo
迷うことが大事なんだ。 迷ってみる。そして、また迷いたく無いから少し貪欲になってみて、それから草臥れて遣る瀬無くなって。 先人も皆、そんなもんだ。
自身が不安や不快な思い(マイナスな感情)に至った時に、遣る瀬無くなってそれを怒りという感情として解消するばかりいるのは、自分自身の感情を言語化出来ていないから起こる行動で、 不の感情との向き合い方は、冷静な姿勢で居る事が大事なんだと思う。 自身を傷つけるばかりか他人も傷つけている様はもう今生的に無駄な産物でしかない。
明瞭に自分と相容れないと判然する人間と強制的に接触しなければならない環境は必然と在る。 その環境は誰にとっても辛いものだと思う。
人が笑う様は本当に良いなと思う瞬間がある。自身も返って暖かい思いになる。 人間が社会的な動物であると感じる瞬間である。
「時に何もしたくなくなる。」 今まで大事にしてたモノ、続けてたモノ、ずっと大好きだったモノ。全て味気なくなる。 けれど何かをしてなければ、私の人間味が腐敗していくような感覚もある。 また今日もやれやれと重い腰を持ち上げて、味がしない食パンに食らいついている。 そんな感じ。多分。
遅くなりましたが、今年も何卒宜しくお願い致します。 今年は意識的に様々な抱負を抱え、一つずつこなしていくそんな年にしたいですね。 最近は冷えますね。健康に気を付けていきましょう。 それでは、また。
「即ち荒っぽい大きな歓楽をさけていれば、自然また大きな悲哀もやって来ないのだ。」 (太宰治、人間失格より) 自身の習慣に改めて目を向けて、善悪を分別する機会があっても良い。
昔に比べ現代は、比較的幸福を求める事が出来る生活水準になった。私達はその基盤から幸せを求めている事を認識しなければならない。 先人からすれば、今の生活はまた素晴らしい生活なのだと思う。猫からしても贅沢な生活なのだと思う。 慎ましく生きていく中で現れる美しい時間に感動する。人間らしい生き方である。
「偉い人も偉くない人も社会の頭を出した順序が違うだけだ。」 (夏目漱石、三四郎より) 誰かの支えになる言葉だと思い、抜粋。負けるな。
今私達が過ごす日常は繰り返しでは無く、間断なく続いているものと捉えるのも一つ良い選択であると思う。 「取るに足らない退屈な日々が、不安な未来が繰り返して来るのか。」と気が滅入るのくらいなら捉え方を変えてみるのも良い。 捉え方次第で自身が生きてる世界は少しずつ変わって行く。
一寸した好奇心で書こうと思い立った。思惟は時間を有効に使おうというものである。「さて何をしようか?」そうなって絞った候補の一つがこれである。 此の日記の制約は言葉を自由に取り扱う事を目的にしたいと思う。終末は言葉選びが巧みな御老人にでもなっとこうとそんな思いもある。 はじめまして、はじめます。