天使の舞い降りる人生の午後~5
9 波紋の花束
「でも、シャンテは、なぜ僕のところに来たの?」
僕は不思議と沸き上がる歓喜に、ちょっと閉口していた。
「僕一人が、一生懸命に魂を磨いたって、みんなのための現実が変わるとは思えないな。」
「私が君を選んで来たのは、深い訳があったわけではないよ。
誤解しないで欲しいのは、君が特別だからではなく、本当に普通の、良いところも残念なところもある、愛すべき人間だったからだよ。
君だけに私との出会いが起きている訳ではないんだよ。全てのものに、その機会は訪れているんだ。
ただ、悲しいことに訪れても気づく人は余りいないんだ。忘れちゃったり、認めなかったり、拒絶したりしてね。
日常の中にいつも存在している、普通の幸福の尻尾を捕らえた君は、私を見つけてくれたんだよ。」
僕は、カフェテラスでリラックスして、大きな欠伸をしたことを思い出した。
「幸い君は、私を認めてくれたね。お陰でメッセージを伝えることができたんだ。
君に伝えることによって、君の意識に波紋を与えることができたんだ。」
「波紋?」
「そう。君が真実、宇宙の神秘に気が付くことで、意識が振動したんだよ。
その振動は、宇宙と共振して、ゆっくりと、けど確実に周囲に広がっていく。君という存在が起こした波紋は、大きく静かに周りに広がっていくよ。」
「僕が起こす波紋…」
「君の波紋は、他の人にも、振動から共振を与えることになる。
そして、その人はまた新たな波紋を起こすことになるんだよ。そして、また波紋が生まれ、世界は波紋で覆われることになる。
意識するにしろしないにしろ、あらゆるものは、毛細血管の様に繋がっている。心も思いもね。
鬱々とした心がどこかで生じれば、見えない血管を通って、たちどころに世界のみんなの心も鬱々とさせていく。
空気も鬱々な空気になる。
今の世界がよい例でしょう。」
「他の人たちはどうなるの?」
「波紋の振動をキャッチすることで共振し意識が開いてくる。そうすると、私たちが遊びに行きやすくなるんだ。誰でも自然に宇宙の響きに耳を傾けるようになって来るんだよ。」
「そうか、そうするとみんな立ち止まって考えるようになるんだね。」
「そういうこと。」
シャンテは水槽を指した。
「覗いてごらん、波紋が見えるよ。」
僕はそっと透明な容器を覗き込んだ。
何もないと思っていたけれど、目に見えない何かが入っているみたいだ。
「これは何だろう?」
「小宇宙だよ。見てごらん。
今、一つの場所から生まれた波紋が広がっていくところだよ。」
シャンテは、ふうっと息を容器に向かって吹きかけた。
何もない空間が、微妙な振動で揺らぎを生じた。振動は渦を巻き、波紋のように広がっていく。
その波紋が広がった先で、また新たな渦が生まれ、波紋となって広がる。狭い容器の中が無限に広がる空間に変っていた。空間は、無数の波紋に覆われていた。
やがて、波紋はそれぞれ回転しだした。
回転した波紋が重なり、まるで花束のように一つになっていった。
一つになった波紋の中央から、キラキラした光が、ゆっくり溢れ出した。光は、波紋の回転によって、あらゆる方向にまき散らされていく。
容器の空間は、星の光で輝く海のように見えた。
「何て綺麗なんだろう…」
僕は感動で、無意識に泣いていた。
10 天使の舞い降りる人生の午後
「でも、気を付けて。」
シャンテの言葉に、僕は振り返った。
いつの間にか星の海に、僕たちは浮かんでいた。
シャンテは僕の目線の先にいた。
「あくまでも、一つの未来の可能性に過ぎなくなるかもしれないこと。
まだまだこの星は、光の帯に入ったばかりだからね。波紋が花束にならず、そのままその場所で枯れてしまう危険も存在するという、未来もあるんだよ。」
シャンテは、僕の目を真っ直ぐ見つめた。
「人間だから、欲望はあって当たり前なんだよ。否定する必要はない。
ただ、欲望の奴隷になるのではなく、欲望の主人とならなければいけないよ。
光の帯に包まれる、光の龍に飲み込まれるこれからは、更に世界は、人は、強烈だけど清浄な振動に揺さぶられることになる。それに上手く共振できることを祈っているよ。」
不安気な表情を浮かべていたのだろう。
シャンテは僕の傍に来て、励ますように僕の肩を叩いた。
「これだけは信じて。
幾らひどい状態に陥ったように見えても、それは更に上に進む導なんだ。
螺旋を思い描いてごらん。一度下がるけど、また更に上へと伸びていくでしょう?
全ては成るようになる…安心して歩いていくんだ。
今から螺旋の道を歩き始める君は、今までの人生を眠っていた午前中だとすると、目覚めた人生の午後を生きていくことになる。
どんな天気になっても、楽しむことを忘れちゃいけないよ。
宇宙の愛が君の中にも同時にあるということを、忘れないでね。」
僕は頷き、微笑んだ。
シャンテも微笑んだ。
「さて、そろそろ帰る時間だね。」
「帰る時間」
僕は、ぼんやりと公園を思い出した。
随分遠くに来ているような気がした。そして、午後の光に染まったあの風景が、とても懐かしく思え、胸の奥がツンとなった。
「廊下に出て、道なりにいけば、右に右に進んで行けば出口があるよ。迷うことはない。アルもいるし、大丈夫だ。」
「シャンテ、君は…」
「私も行くとするよ。」
そういうと、シャンテはふわっと浮かんだ。
クマのぬいぐるみが、突然輝きだした。
その輝きは強さを増し、眩しくて目を開いているのが難しくなった。
「シャンテ!」
「楽しかったよ。話を聞いてくれてありがとう。」
「また会えるかな…」
「またね。」
僕は、輝くシャンテを苦労して見つめた。
輝きの中央には、クマではなく、人影があった。
性別は分からない。光の糸のような長くウエーブした髪と、黒い強い瞳、優しい微笑みが見えた。光り輝くシャンテの身体は、無数の光のベールに包まれていた。
そう、まるで天使のようだった…
「シャンテ、君は一体…」
僕は唖然として叫んだ。
シャンテ、クマのぬいぐるみだったものは、今目の前で美しい姿で佇んでいた。
「何者でもないよ。私も同じ宇宙の欠片…
じゃあ、ね。さようなら…」
シャンテの輝きは更に強さを増し、一瞬光が爆発したかのように感じた。
輝きが収まり、やっと目が元に戻った時は、元の部屋に僕は一人でぽつんといた。シャンテが座っていた椅子には、何もなかった。
シャンテと歩いた迷路のような廊下は、一人だと更に長く感じ、永久に出口へたどり着けないような気がしていた。
「こちらでございますよ、お客様。」
アルの声に、ハッとした。
目の前の空間から、すっとアルが浮き出てきたように思えた。
アルの後をついて少し行くと、入って来たときのドアではないドアに案内してくれた。
「お帰りはこちらからになります。」
僕は頷いた。
「あるさん、シャンテは行ってしまった…」
アルは微笑んで頷いた。
「大丈夫ですよ。」
「そうだね。では、さようなら…」
僕は会釈した。
「お気をつけて。良い旅を…」
僕はドアを開けた。
爽やかな風が僕の身体を吹き抜けていった。
エピローグ
鳥のさえずりが聞こえた。
人々の騒めきが、意識を戻させていく。
「お客様、そろそろ閉園になりますので…」
僕はハッと我に返った。
いつの間にか、僕は公園のカフェテラスに戻っていた。
目の前に、カフェのマスターが心配そうに立っていた。
公園はもう、陽が沈みかけていた。人々も岐路に付き始めだしていた。
「またのお越しをお待ちしております。」
マスターに促され、僕は本を手に取り立ち上がった。
やはり、夢を見ていたのだろうか?
かなり遠くまで旅をしてきたような気分だった。
疲労感もあったが、陶酔感の方が強かった。
良い夢だった。
風が心地良かった。ポプラ並木の間から夕陽が差し込む。
天文台への入り口だった、三本目の樹の間を覗いてみたが、見慣れた芝生と、出口を目指す人たちの姿しか見えなかった。
「お客様!」
カフェのマスターが、僕の方へ駆け寄ってきた。
ハアハアと意気が上がっている。
「こちら、お客様のものでしょうか?椅子の上にありましたので。」
マスターはそういうと、手にしていたものを僕に差し出した。
シャンテだった。
いや、シャンテという名前を名乗った、クマのぬいぐるみだった。
美しい天使の、この地球上での愛らしい器だったものだ。
「お子様へのお土産ですか…」
マスターが尋ねた。
「いや、僕のです。ありがとう。」
不思議そうな顔をしているマスターに、笑顔で答えると、僕はぬいぐるみを抱えて歩き出した。
夢と現実は繋がっている、同時に存在しているんだね…
僕はクマのぬいぐるみを抱きしめた。
やがて来るだろう、光の帯を想像するだけで、心が騒めく。静かにさざ波が起きてくるようだ。
さざ波はやがて波紋を呼び…
シャンテ、螺旋の彼方でまた君に会えるだろうか…
僕は、小さな波紋を起こせるだろうか?僕の波紋は、みんなに波紋を生じさせられるだろうか?共振は起きるだろうか?
いや、ぼんやりと過ごしてしまった今までの人生を、午前と例えるなら、午後に当たる残りの人生は今から始まったばかりだろう。
そう、宇宙の神秘を知った今から。
煌めく夕陽を全身に受けながら、僕は世界に咲き誇る、波紋の花を思い描くのだった。
終わり
自分の力を試したいと 試行錯誤しています もし 少しでも良いなと思って頂けたのなら 本当に嬉しいです 励みになります🍀 サポートして頂いたご縁に感謝 幸運のお裾分けが届くように…