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思考を超えるとは

最初の投稿で「新しい世界観が五次元的」であるといい、次の投稿で五次元的な認識に至るにはまず「常識という重力からの解放」が最初の一歩として必要と書きました。

最初の一歩

常識から解放されると、次は「思考」に向き合う事になると思います。

何故なら私達の思考の多くは常識的なものや環境による経験に依存していて、思考から行動し、それが習慣になっているからです。

私達は思考、選択、行動の一連の流れからそこに自分を見出します。

環境と自分は不可分で、勿論環境に依存して生きているので当然なのですが、

常識から離れてよくよく思考を見つめてみると、いかに自分の思考、しいては選択が自発的なものでなく外的な環境からもたらされたものであり、それに依って行動しているかという事に気付く事があると思います。(勿論そうでない人もいるのですが)

例えばそれはメディアが提供する価値観だったり、欲望を煽る広告だったり、自分の属する社会の環境や人間関係だったり、流行だったり、既存の資本主義的な経済システムや統治国家の都合による考え方だったりしますが、

気付かない内にいつの間にかそういった所由来の思考と自分を同一視してしまいがちな所があります。

とはいってもそういうものの積み重ねが自分を作っていくんじゃないの?別にそれが自然なんじゃないの?と思われる方もいるかと思います。

勿論それも全くその通りなのですが、ここでフォーカスしたいのは「本来の自分」で、外的な要因による思考からの解放が本来の自分の個性の解放を促すという事がここで言いたいところです。

そこで一つの判断基準として、対象となるものに対して自分の意識の深いところでそれが「好きか嫌いか」、また「やりたいかやりたくないか」、「ワクワクするかどうか」というような意識の方で判断すると、より本来の自分に近いアプローチが可能です。

思考寄りの心で決めるのではなく、魂寄りの心で決めるというアプローチです。

これがうまく出来ていると、自分らしさを発揮し、自分が心から望む人生へフォーカスしていけますが、環境に依る思考にとらわれているとなかなかそうはいきません。

こうしたアプローチは自分を深く知り、再発見し、超えていく事に役立ち、自己実現、自己一致に役立ちます。

しかし注意すべき点は、何でも単純に好き嫌いや意欲の有る無しで判断するのがいい訳ではないという事です。

自分勝手な都合で、あるいは自己正当化の為にそればっかりやっているとろくな事になりません。

社会との関係性を見つめ、その中で自分を十分に活かして発揮していく為に必要なアプローチだと思います。

自分らしい自分を認め、活かす事は自信に繋がります。

自分の本性に安心して信じられることは、社会の中における自分の役割を明確にし、ここで起こる意識の拡大があります。

他人の役割も認めるようになり、尊重できるようになります。

これが重要なポイントで五次元的な認識だと思います。

思考を超えるという事は、魂に近い方の心にフォーカスするという事です。

それによって他者をはじめとするあらゆるものを受容する心が広がります。

しかしあらゆるものを受容すると言って、じゃぁ何でも有りなのかとといえばそういう事ではないです。

好き嫌い、善悪、白黒、+−はあります。

対立しあうものは対立しあう事に意味があり、機能があります。

対立するものを超えた所には愛があります。これは、恋愛における愛というものよりもっと大きな愛の事で、根元愛とでもいうような、この宇宙の基本エネルギーで、宇宙を進化させる力と言えると思います。

二元論的なものを超えるのは根元的な愛で、それはあらゆる所に偏在する光の生命エネルギーで、また同時に意識でもあり、波動でもあります。

これはキリスト意識と呼ばれたりもします。

ここまでくると俗に言われる「アセンション」状態で、光が偏在するエネルギー世界の認識が可能になると思いますが、

どれだけ体感として一般的に得られるようになるのかは分かりません。

ちょっとした体験談を語る事もできますが、話がなかなかイメージし辛いとこまでぶっ飛んでると思うので、

今度は科学的な観点から多様性とあらゆるバリエーションを包括する五次元的な世界観、「量子ホログラムの世界と意識」について書こうと思います。

自分自信の変化が即座に自分の世界に影響を与えるパラレルワールドを含む世界観です。

「量子ホログラムの世界と意識」

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