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世界史紀行

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世田谷学園の世界史教師が、その目で見てきた世界の姿から歴史を語ります。
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2021年5月の記事一覧

音楽の国の冒険⑦(最終回)

世紀末都市ウィーン 旅の締めくくりに、中央墓地を訪問する。この墓地の第32A区には、モーツァルトの墓を中心に、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、ヨハン=シュトラウス親子など錚々たるメンバーの墓が並んでいる。なおシューベルトは、ベートーヴェンの墓の傍に葬られることを自ら望んだらしい。  モーツァルトの墓と言っても、もちろんここに彼はいない。千の風になって……というフレーズが頭に浮かぶが、本当にいないのだ。先述した通り、彼の遺体が葬られた場所は誰も確認せずに行方不明になっ

音楽の国の冒険⑥(全7回)

ナチス=ドイツとウィーン  シェーンブルン宮殿から路面電車でベルヴェデーレ宮殿に移動する。  元々は17世紀にスペイン継承戦争で活躍した軍人プリンツ=オイゲンの離宮として建築された宮殿だが、マリア=テレジアの時代になってハプスブルク家に売却された。現在、宮殿の内部は美術館になっており、ウィーンでは美術史博物館に次ぐ規模である。美術史博物館が19世紀以前の作品中心の展示であるのに対し、ベルヴェデーレ宮殿には、クリムトやシーレなど20世紀の芸術家の作品も収蔵されている。  この

音楽の国の冒険⑤(全7回)

マリア=テレジアとシェーンブルン宮殿  8月3日。ウィーン滞在2日目となるこの日は徒歩では回れない郊外を中心にみることにし、まずはハプスブルク家の夏の離宮であるシェーンブルン宮殿を訪問した。  建設されたのは16世紀だが、現在の姿に改修されたのはオーストリア最大の名君マリア=テレジアの時代である。この宮殿は、ナポレオンの軍がウィーンを占領した際には彼により総司令部として利用され、ナポレオン戦争終結後にはその講和会議であるウィーン会議の舞台となり、また20世紀にはアメリカ大統

音楽の国の冒険④(全7回)

多民族都市ウィーン  オーストリアは長らく北イタリア、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、クロアチアなどを版図に含む多民族国家であり、それゆえ首都ウィーンは多くの民族が共存する国際都市であった。現在オーストリアに居住する非ドイツ語系住民は(オーストリアの公用語はドイツ語)1%に過ぎないが、ウィーンを歩いているだけでも様々な民族文化の影響を感じ取ることができる。  例えば、この日の昼食には、ウィーン名物のシュニッツェルを食べた。  トンカツの原型となったともされる料理だが、豚肉

音楽の国の冒険③(全7回)

フランツ=ヨーゼフとエリーザベト  次に王宮(ホーフブルク宮殿)を訪問する。オーストリアをおよそ600年間にわたり治めたハプスブルク家の一族がその住居とした建物である。ウィーン市内のハプスブルク関連の観光地としては、他に、彼ら一族の墓所となったカプツィーナー教会、彼らの心臓を安置するアウグスティーナー教会などがある。  ハプスブルク家は、元々神聖ローマ帝国の中では弱小貴族に過ぎなかった。それが神聖ローマ皇帝位を独占し、ヨーロッパきっての名門一族となったのは、ひとえにこの一族

音楽の国の冒険②(全7回)

ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト  ウィーン大司教区の司教座がおかれていた教会─要は、この地域において最も権威ある教会である、シュテファン寺院を訪問する。  ウィーンのランドマークであり、14世紀の建設以来、この都市の数奇な歴史を見届けてきた。オーストリアの至宝モーツァルトが妻コンスタンツェと結婚式を行ったのも、またその葬儀が執り行われたのもこの教会であった。教会の裏手には、モーツァルトがウィーンに居住していた頃の家が博物館として残っている。  ヴォルフガング=ア

音楽の国の冒険①(全7回)

オーストリアという国  オーストリアは不思議な国である。世界史の学習をしていて初めてこの国名を知った、という人も多いのではないだろうか。かくいう私もそうだった。こんな、コアラやカンガルーがいそうなややこしい名前の国をこれまで全く知らなかったということに、不思議な気持ちを覚えたものだ。  世界史に登場する国々の多くは、現在でも日々ニュースでその国名を聞くスター選手たちだ。しかし、オーストリアの名を普段ニュースで聞くことは少ない。それなのにこの国ときたら、世界史の教科書の中ではイ