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學鐙 冬号(Vol. 120 No.4)

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學鐙 冬号(Vol. 120 No.4)の掲載記事をまとめました。特集「はたらくを繙く」(2023年12月5日刊行)
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記事一覧

田中 優子「働くこと、開かれていること」

仕事? 趣味?  芭蕉俳諧は江戸時代を席巻したが、俳諧師は「働いて」いたのだろうか? 芭蕉は旅をした。その際、ほとんど金銭を持っていなかった。もちろん宿に泊まるときは現金で支払うわけで、船や馬をごくたまに使うとしても金銭が必要だから、いくらかは持っていただろう。しかし都市に入ってしまえば、弟子たちが待っている。芭蕉は弟子たちが開いた俳諧の座に宗匠として入り、歌仙を巻き、それらは上質の文学として今日まで残った。その間、芭蕉は俳諧連衆の中の誰かの家に泊まる。俳諧をする弟子たちは

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松村 圭一郎「働くこと、休むこと」

 現在、一年間の在外研究でフランス東部のストラスブールに来ている。調査のため夏の二ヵ月をドイツで過ごし、フランスと合わせて半年ほどが過ぎた。ドイツもフランスも、夏のバカンスが長く、多くの人がしっかり休暇をとることは知っていた。だが実際に目のあたりにすると、日本での自分たちの「働き方」やその背後にある時間の感覚について考えさせられた。  夏前から大学の研究者も、多くの人はメールが自動返信になり、メールを送っても返事が来なくなる。いま共同研究をしているストラスブール大学の建物も、

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嶋田 博子「「ひとのこと」という仕事」【全文公開】

 昨年上梓した本で、マックス・ウェーバーを下敷きに「天職」や「各人を導く内なる力(守護霊)」に触れたせいか、教え子たちから「自らのデーモン」について相談される機会が増えた。その一人から真顔で、「先生自身はどうして人事が天職だと気づいたのですか」と聞かれたのだが、そんな気づきはまるでなかったので、「ほかに食べていく道がなかったから」と、身も蓋もない本音を答えてしまった。  それがきっかけで、進路決定までの経緯を改めて振り返ってみたのだが、中学三年の時に受けた進路適性検査の結果は

西村 勇哉「人類の可能性を拓く先鋭的なイノベーターの所在」

 研究者、と聞くとどのようなイメージがあるだろう。  高校時代に心理学という分野があることを知り、学んでみたい!と思った時、まだ大学というのは高校の次に来る学校で、高校までと同じように大学にも「先生」がいると思っていた。  一年の浪人を経て大学に入ると、そこにはたくさんの先生たちと、そしてちょっとイメージしていた心理学とは違う世界が待っていた。  大学に入って学びたかったことはどこにあるんだろう、と思いながらも部活に励む毎日。そんな中、たまたま大型書店で手に取った一冊の書籍が

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ナカムラクニオ「「パラレルキャリア」という未来の働き方」

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平田 はる香「はたらくを生活に溶かす」

 「いつ寝ているんですか?」とか「全国を飛び回っていて体調は大丈夫ですか?」「休みはあるんですか?」なんてことをよく聞かれる。それは、わたしの行動がSNSで筒抜けで、仕事量が膨大なようにも見えるし、そこら中に移動していることが透けてみえていて〈とても忙しい人〉と見られているからに違いない。  事実はそうでもない。毎日平均睡眠時間は七時間、趣味のボルダリングに週一・二回は通い、毎晩、簡単な手料理と晩酌を楽しみにしていて、日曜日は子どもと遊び呆けている。とても忙しくはあるけれど、

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安田 登「能楽師の職業論——「三流人」として生きる」

 私の職業は能楽師です。古典芸能である能の役者をしています。もう少し正確にいえば、ワキ方の下掛宝生流という流儀に属している能楽師です。能楽師としての仕事やワキ方についてはあとでお話しすることにして、まずは「仕事」という言葉と「職業」という言葉について考えてみたいと思います。  「仕事」という語と「職業」という語とはほとんど同じ意味に使われていますが、出自はまったく違います。「仕事」は漢字で書かれますが、本来は「しごと」、日本の言葉、和語です。それに対して「職業」は中国の言葉、

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