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幸せとは

本日は『政治を語る同論会』でした。

タイトルのわりに、内容ゆるゆるなんで、是非見に来ていただきたいライブ配信です。

今日は、守谷日和さんから話が脱線しまくりました。とりあえず、守谷さんは、人の『よくない部分』を混ぜて固めたみたいな人ということですね。もちろん、それも含めて、みんな愛してるんですけどね笑


コンビ活動での役割でいうと、僕は『ツッコミ』で、笑い飯哲夫さんと、藤崎マーケットトキさんは『ボケ』ということになるんですが、、いや、哲夫さんは両方かな?

けど、1人になれば役割なんてなくて、ただの『芸人』なのですが、その芸人としての僕が、尊敬してやまない先輩お二人とトークが出来ていることは、本当に幸せに感じています。

どれくらい幸せかというと、エビフライを注文したら、メニューの写真では載ってなかったのに、タルタルソースが小鉢に山盛り入ってるのが付いてたくらい幸せです。直掛けより、別盛りなのも最高ですよね。


「好きな仕事に就けて幸せだね」

なんて言われたりしますが、好きだったものを、嫌いになりそうになる瞬間もあったりするので、

『それは、どうなんだろうね?』

と返してしまいたくなる時もありますが、今日のような、16年前の僕が見たら、狂喜乱舞するような日もあるので、やっぱり幸せなのかもしれません。

『自分の幸せは、他人の不幸の上に成り立っている』

という言葉があります。もちろん、そういう部分もあると思います。けど、

『不幸な自分の中で見つける幸せ』

は、自分の中で全て完結しているので、上の言葉には含まれない。むしろ、こういう幸せに気づくことが出来ているなら、その不幸は、幸せの手前にあるだけなのかもしれない。

そうなると、自分を不幸だと思っているときは、幸せの前兆に入ってるかもしれません。

お昼ご飯に、大好きなエビフライを注文したら、そのお店のエビフライが、めちゃくちゃ不味いエビフライだったとしても、確かに、その瞬間は不幸ですけど、未来で頼むエビフライは、悪くても、その不味い同点ですし、ちょっとでもサクッとしたら、エビフライの美味しさを噛み締めることができるはずです。

なんなら、その日の晩御飯が大嫌いなものだったとしても、

『大好きなものがあんなことになるんやったら、大嫌いなものにも逆があるかも』

と思って、今まで食わず嫌いしていたものを、食べちゃうかもしれない。それで万が一、美味しいと感じちゃったりしようものなら、もうボロ勝ちです。

「なんでこんな美味いもん、今まで食べてなかったんやー!」

とか言ってしまうかも。

自分の幸せのために、他人を不幸にしたいと思って生きてはいないけど、自分をちょっと不幸にするくらいが、生きていくコツなのかもしれません。

まあ、美味しい思い出を持ちすぎて、嫌いだったものをもう一回食べたら、

「あれ?やっぱり不味いなぁ」

となるパターンもありますが、それはそれで、次の幸せの前兆ってことにしときましょうよ。

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