関東学生探検連盟設立のきっかけ ~1976年全国学生探検会議(1)~

こんばんは。今回はこのアカウントを運用している関東学生探検連盟の先駆けとなる全国学生探検会議を紹介したいと思います。


関東学生探検連盟が組織されるきっかけとなったのは、1970年代に開催されていた全国学生探検会議にある。学生探検部という組織の性質上避けられない問題を議論し合い、各々の活動を報告し合うことで刺激し合い、学生探検部の更なる発展を目指すために、この会議は行われた。現在の連盟もその延長線上に存在している。では、当時の探検部員は何をして、何を語り合っていたのであろうか。1976年に開催された第一回全国学生探検会議について数回に分けてその内容をご紹介したい。

 1976年12月3日、その山頂に雪をまとい始めていた北アルプスの奥には、一面灰色の空が広がっていた。北アルプス北部に位置する白馬岳。その麓にある白馬山荘にはこの日、若き探検家たちが集っていた。そこでは全国の学生探検部員による熱い討論が繰り広げられていた。

日本で初めて探検部が設立されたのは1956年3月京都大学でのことである。京大山岳部は探検志向が強かった旧制第三高校山岳部と京都帝国大学旅行部の系譜を継いでいた。しかしスポーツ・アルピニズム思考を年々強めてきた当時の京大山岳部において、もはや探検志向は存在しなかった。その現状に不満を持つ、本多勝一を中心とした探検志向の山岳部員は、登山志向の山岳部員たちと膨大な議論の末に決裂。山岳部から独立し、探検部を作り上げた。京大探検部は誕生後まもなくヒンドゥーシュク探検を行い、登山の他、植物学や地質学の調査を行った。京大探検部が行った学術探検は全国の大学山岳部における探検志向の者を刺激し、全国の大学で続々と探検部が誕生していった。
日本で探検部が生まれてから20年後の1976年10月初旬、次のような案内が全国の大学探検部へと送られた。

 秋も深まり、周りの木々も一段と色づいてまいりました。
貴部におかれましてはますますご健勝のことと御拝察申し上げます。
さて本年(1976年)をもちまして日本の大学に初めて探検部という学生サークルが誕生して以来、20年の歳月を経るに至りました。
 この間、我々の残してきた足跡は国内はもとより国外にまで広がっております。しかし、最今我々の活動そのものが沈滞ぎみであると言われ、一部の者の間には探検部解散論まで唱えられていることは周知のことと思います。
 この様な状況の中で我々に与えられた課題は、この間の我々の活動に対する総括と現在の沈滞ムードの打破、我々の探検活動に対する姿勢、今後の探検活動に対する展望とを見い出すことではないかと思います。
 今こそ各大学の探検部が一堂に会し、我々の存在価値を再確認し、横のつながりを持っていかなければならないのではないでしょうか。
 我々は呼びかけます。「全国学生探検会議」への貴部の参加を‼ 
1976年9月30日

 全国学生探検会議開催を呼びかけたのは、東京農業大学農友会探検部、日本大学探検部、駒澤大学探検部の三団体である。それから準備会議が重ねられ、駒澤、上智、法政、農大、日大の五校が「全国学生探検会議」準備委員会となり、日本観光文化研究所・あむかすの協力の下、1976年12月3日から、北アルプス北部白馬岳の麓にある法政大学白馬山荘にて三日間にわたり全国学生探検会議を開催することを決定する。当日予定されていた討議内容は「各大学探検部の横のつながりの強化」「各大学探検部の活動報告」「探検部の現状」「今後の探検部の展望」の四つである。

12月3日白馬に集まったのは、東京農業大学農友会探検部、日本大学探検部、駒澤大学探検部、法政大学探検部、上智大学探検部、明治大学探検部、拓殖大学探検部、明治学院大学探検部、学習院大学探検部、立正大学探検部、青山学院大学探検愛好会、近畿大学文化会探検同好会、関西大学探検部、追手門学院大学探検部、神戸大学探検部、東京大学海洋調査探検部、早稲田大学探検部の計17団体、総参加者は56名に及ぶ。

時刻は15時20分。参加者が全員到着し、全国学生探検会議がついに開催された。

今回はここまで、続きはまた後日投稿しますのでお待ちください。

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