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アルバニアにある核シェルター


こんにちは!
愛車の三菱デリカでユーラシア大陸横断中の管理人です。
モンゴルから出発して今はアルバニアに滞在中です。

これまでのルート

◆2023年8月13日(日)

アルバニアには1975年に建設された核シェルターがある。
当時の軍トップが北朝鮮訪問で見学した核シェルターから着想を得たという。
現在は核シェルターは歴史博物館となっており入場および見学することができる。

入り口でチケットを購入。

核シェルターには厚さ10cmほどのコンクリート製の扉を6枚通り抜けて入場する。

入口にあるシャワーはシェルター入場時に汚染された人を除染する役割を果たす。

中は無機質なコンクリートの通路が続きひんやりと冷たい空間。
もちろん窓は一つもない。

壁は内側のブロックをコンクリートが覆う2層からなる。

核シェルターが建設された当時の指導者エンヴェル・ホッジャは自身のオフィスを
このシェルター内で1番豪華な仕様にしたという。

彼のオフィスには緊急時に酸素を生成できる中国製の装置が設置されている。

別室にはアルバニアがナチスドイツ占領下だった時のドイツ軍の軍服があった。

当時のアルバニア軍の装備品はほとんどがイギリス製だったという。

核シェルターには施設内の換気を目的としたベンチレーションが設置されている。
中国製のフィルターは生物兵器使用後の空気も濾過することができたという。

当時のオペレーションに使用されていた通信機器。

シェルター内で働いていた職員の部屋、家具やガスマスクなどはすべて現物。

生物兵器による攻撃を想定した被災訓練も行われ除染作業の予行演習もしていた。

馬用のガスマスクw

政治犯は身動きすることのできない牢屋に投獄されていた。
この時代の政治犯には人権はなかったのだろう。

軍人に支給されていた運動用自転車は中国から付与されたもの。
上海永久というメーカーの自転車。

当時のアルバニアは中国と強い結びつきがあったらしく、多くの製品を中国から輸入してたっぽい。ただ、毛沢東がニクソンと会談したことでアルバニアと中国の関係は拗れてしまったよう。

集会場はあるにはあるけど小学校の視聴覚室くらいの大きさ。

当時の幼稚園児が持っていたであろうおもちゃ。
不気味すぎる。

出口へと続く通路も気味が悪いよ。

博物館見学の後はモンテネグロに入国。

なぜかスーパーがすべて閉まっててようやく見つけた売店でビールを買えた。
あとで知ったけどモンテネグロのスーパーは日曜は営業してないみたい。

明日は国立公園に行くぞ。

続く。

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