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YOUは何しに学習センターへ#22岸川桃子

こんにちは!
哲学的な近藤亜紀からバトンを受け取りました。
かつて松岡修造に憧れを抱いていた、岸川桃子です。よろしくお願いします。
私は文字として何かを発信することがすごく苦手ですが、時間をかけて考えました。文字として整理すること、伝えたいことを”自分の言葉”で発信すること、すごく大切な時間に感じました。最初は抵抗がありながら書き始めたnote、なぜか今はすごくワクワクしながら書き進めている自分がいます。ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです!!


①自己紹介

長崎県の国境の島、対馬で生まれ育ちました。
 ・長崎県の離島で高校教員(教科:保健体育)
 ・この島で島生活は3島目。
 ・趣味は体を動かすこと。
OFFの日は登山に行ったり、釣りをしたり、BBQをしたり、外で過ごすことが多いです。

②1歩を踏み出す勇気をくれた生徒

変化を恐れて挑戦することを常に躊躇していた私が、この島に来ることを決めたことに私自身が一番驚いています。
「対馬からソフトテニスでインターハイへ!」
と想い体育教師になることを決断。
充実した教員生活。
多くの刺激をくれる生徒と先生方との出会い。
1日1日が新鮮であっという間に教員生活の5年間が過ぎました。
私にとって、その心地良い環境を離れることはすごく勇気のいることでした。しかし、それ以上に自分の心を動かすエネルギーをくれた生徒と出会うことができました。

15歳で親元を離れ学びにくる離島留学生。
目標に向かってガムシャラに部活をする選手。
島から夢を追い勉強をする生徒。

やりたいこと、追い求めているものに対して意志を持って「挑戦する」姿に、刺激と忘れかけていた感情を思い出させてもらいました。この島を選択した理由や想いはたくさんありますが、きっかけをくれたのは、今までに出会った長崎の離島の生徒です。

③隠岐島を選択した理由と想い

私は、対馬で生まれ育ちました。
対馬の中でもかなり田舎で育ち、小学校の入学式は担任の先生と手をつなぎ一人で入学しました。小学校6年生の時に統廃合により、同級生はできたものの小規模校で小中学校を過ごし、島内の高校に進学しました。その12年間の教育課程において、私は素敵な先生と出会い、地域の方に支えていただきながら、のびのびと学校生活を送ることができました。
特に、私の中での大きな分岐点であった高校生活で出会った先生方は私の人生において大きな影響を与えてくれた存在でした。

私はそんな自分を育ててくれた対馬が本当に大好きです。だから、対馬を大好きだと思える生徒を育てたいと思う気持ちも強いです。
高校生活は長い人生で見ればたった3年間。
その3年間を対馬で過ごしてよかったなって思ってもらいたい。そう思ってもらうためには、教員の存在はもちろんですが、学校と地域との繋がりが大切だと感じています。
そんな環境を作りたい!
そんな環境がある島‥‥
「離島 地域 教育」で検索をかけました。
さまざまな候補がありましたが、
どれもしっくりこず‥‥
しかし、ある日突然、検索サイトの広告に
「大人の島留学」の言葉が!!!!!!
調べれば調べるほど魅力的なキーワードが出てくる。
その中に、「隠岐國学習センター」が!!
これだ!!!公立学校と地域の繋がり!
自分が理想としている環境が隠岐にはある。
「行くしかない」と思い決断しました。
これまでの生徒との出会いがなければ、この決断はなかったでしょう‥‥
変化したい自分、何かに挑戦したい自分、
教育観、価値観、世界観を広げたいと思っていた私にはピッタリのタイミングでした。

④岸川は何しに学習センターへ?

・教育現場の教育者としてではない立場で、
 地域の1人として生徒と関わり共に学んでいきたい。
・公立学校が地域とつながりる仕組みを知りたい。
・これから私自身が描く未来のヒントを探したい。

⑤最後に

私はこれまで様々な出会いに刺激をもらい、支えられ、成長させてもらいました。
これからの隠岐島での生活も、多くの方々との”出会いと繋がり”を大切にしながら、日々丁寧に過ごしていきたいです。そして、そこで湧いた感情やエネルギーを言葉や文字として、そして、写真として残しこの島での自分の変化を楽しんでいきたいです。

拙い文章ではありますが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
このnoteと向き合う時間は私に本当に有意義な時間でした。

次は、私の出身対馬のお隣の国、韓国出身のヨンさんです!!


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