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人生劇場 ゲスト:川崎良太さん

ー人生劇場とはー
10人集まれば、10の生き様がある。
様々な分野の方をゲストに迎え、”人生”について語ってもらいます。
時には質問をしたり、みんなで対話を重ねたり。
そうしてひとつの空間をつくりあげていく、60分のライブイベントです。

こんにちは、インターンの村上です。今回のnoteでは、60分間の人生劇場中で特に印象に残った良太さんの言葉を少しだけおすそ分けしようと思います。


2020年11月11日のゲストは、川崎良太さん。

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15歳、自分が障害者だということに気づいた

普通の小中学校に通っていた時は、自分が障害者だと思ったことがなかったんです。

高校に入って、病院に入院して、自分が障害者というカテゴリーに分類される人なんだなっていうのに、15歳になって気づいたんですね。15歳で気づいて、衝撃が走りました。人生に絶望するような感じがありました。

病院では、トイレの時間が決められていて、その時間外にお願いすると、小言を言われる。お風呂が週に2回しか入れない。お風呂も集団で入るんですよね。みんな台の上に寝かされて、表現悪いですけど、ほんとに魚を洗っていくみたいな、そういう流れ作業でお風呂に入らされることとか、外出が簡単に認められないこととか、そういうことに気づいて、

僕は一般的な、普通の人が歩むような幸せな生活は送ることができないんだろうな、と高校時代に思いました。

「自分で仕事をして、自分で食い扶持を稼いで、生活を成り立たせていく」そういう一般的な自立の考え方に、障害者も支配されていた

一人の人間として主体性を持って生活することが、本当の意味での「自立生活」です。

障害者というのは、あらゆることを自分で決定することとか、また責任を取らせてもらうことができなかったんですね。簡単に言うと、病院に入院している時に、僕が「近くのコンビニに行きたいです」と言います。そしたら病棟の看護師さんに、「いや危ないからダメです」と言われるんです。高校生の僕はコンビニすら行くことができなかった、自分で決めれないんですね。自分で決めることはできても、それを周りが認めてくれない。

僕は高校を卒業してから、介護施設で働いていたんですけど、働いてない障害者、たとえば同級生で運悪く、就職できなかった友達がいるんですね。そういう人に自分は働いてるからよくて、あの子は働いてないからだめだ、みたいな、言わないけど頭の中にそういうものがあったんだと思います。働いてる自分はすごくて、働いてないあの子はだめ、努力が足りないみたいなそういう考え方が、自分を苦しめることになるとは知らずに、そう考えてた。

自分でできることは自分でしなさい、人に迷惑をかけてはいけないという呪縛が間違いなくありました。そういう、社会からの影響をもろに受けてて、働いていない人を下に見ていた。これは優生思想にもつながってくると思うんですけど。

生きているだけで精一杯な人もいる中で、社会的に見たら相模原殺傷事件で言えば、「生産性がないような人」と言われるような人たちを、障害者である僕も同じ目線で見てたんだなと思った時に、これはいけないなと思った。社会の考え方や見方に影響されるんじゃなくて、自分らしくその人が人生を生きていけるような環境が整備されるべきだと思うし、それを訴えつづけていきたい、気づいた人が行動しないと社会は変わらないと思います。


〇あとがき〇
いかがでしたでしょうか、私は人生劇場の幕が閉じた後、しばらくの間、時が止まったような感覚がありました。少しすると、自分の中に沢山の問いが出てきて、居ても立っても居られなくなり、良太さんの愛読書だという「こんな夜更けにバナナかよ」という本が題材となっている映画を、その晩に1人で鑑賞しました。良太さん、貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。またお話させてください。



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