通りすがりの人の言葉

通りすがりの誰かの言葉が自分の人生にのちのちまで影響することがあると言いますが、自分にとって、この例はまさにそうだなあと感じます。

志望大学の入試科目に小論文があり高校三年生の時、国語の先生だった教頭先生が毎日課題を出し指導してくださいました。

私はもう、そこにしか合格できそうもなく、そこに受かると勝手に決めてその課題だけやっていました。

その時に先生がおっしゃったことが思いだされます。

お前はきっとエッセイ書かせたら一流になれるはずだけどこれは大学入試用の小論文だからな、繰り返しとか体言止めとか要らんから。ここは論文らしく書きなさい。

書いている内容が面白く文章と物事への見方がいいから、と自信を持たせてくれたその先生のおかげでおみごと、そこ落ちたらもうどうしようもなかった、競争率10倍の難関を越えることができました。

時間を取って指導してくれた先生の言葉を不意に思いだし、いま改めて感謝です。

あなたはこういう人という肯定的な言葉は何十年たってもその課題に向かうときに勇気づけられるのだなあと、今日この記憶を思いだして感じました。

気づき

①多くの大人が多様な視点でその人のいいところをみつけ、フィードバックすることは大事だなと感じました。通りすがりの人の肯定的な言葉が聞ける、今の世の中いろいろ余裕もなくなって、このご時世できっと余計に難しくなっていますが、その環境を用意することをがんばろうと改めて思いました。

②今の時代は私が高校生の時と違ってエッセイは特別な人がするものでも何でもなくて、書こうと思ったらこうやってすぐ書ける。名乗ろうと思えば名乗ったもんがち。そんな世の中なんだな。なんでもその人の良さを表現できる。自分のやりたいことは思えばすぐに実現できる。すごい時代。

③自分を表現するために。その人の得意は何。その人がどんな種をもっているのか。発見を手助けするために、個人が内側の問題を丁寧に追及していくためにはある程度の自己肯定感ができている状況でないといけないし、そしてそこには①がやっぱり大事と感じました。

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