とよたフェスティバーレ

昨日、とよたデカスプロジェクトという審査会でフェスティバーレのことについてプレゼンしました。

とよたフェスティバーレは第一回目2019年に始まりました。
コロナ前、そこについては何の心配もしない状態で桜城址公園にて行いました。
その時の主催者はMastermind(学生ギルド)という名前でした。

2回目の主催も学生ギルド。
最初はとよしばの予定でしたが
コロナで、三密を避ける
入り口検温消毒できる
入場者を柵で区切れるから豊田スタジアムでやろうと準備していたその予定を、
コロナウィルスのピーク予想データがその日に高くなっていたこと、
学生が集まった場所でクラスターが起こったことに対しての個人へのネットの批判が起こっていた時期
泣く泣くオンラインに切り替えました。
(文字通りめちゃくちゃ泣きました。それは自分が言っていたことの責任を果たせない、私を信じてくれていた人へのあそこまで協力してくれた人たち気の裏切り行為になることが自分で許せなかったからです)

何かあったらどうするんですか、、、、への圧力に負けたくない。どこか大きなところが主催をしたらそうなってしまう。
小さなわたしたちだからこそ、密をさけられるスタジアムで企画。

今の時代だからこそ、人の集まれる方法を工夫してつくらないといけない、との思いで進めて来ていましたが、、、、
それに賛同してくれたからみんなの協力があそこまであったのに。

まん延してきた時期
自分の身は守れるけれど、一緒に主催者として名前を連ねている学生のネットの攻撃までは私には守れない。

そう思い、直前までスタジアムでのフェスティバーレをあんな時期に力を貸してくれて準備してくれていたみんなの気持ちをなんとも踏みにじって。

有無を言わさない結果報告で
オンラインに切り替えました。
(あの時の判断、あの時に大事にしたことは私の価値観の反映だったし、そしてそれをそのまま終わりの形に持っていったら一生後悔する、、、と思ってオンラインの形に一週間で持っていったこと。あれは決して忘れられない一週間でした。)

三回目のオンライン開催、名前は当然学生ギルドにしました。

四回目は
そこまで学生ギルドは関われないので、主催ではなく協力団体という形でした。デカスプロジェクト落選した状態でそれでもやるかやらないかの判断のため。コンサートホールにキャンセルする場合はいつまででしょうかと聞きに行き、そのときに会場を見せていただいた一番最初の下見は稲垣さんと行きましたので紛れもなく学生ギルドは大きな役割果たしました。
そして万博プロデューサー、STEAM教育者の中島さち子さんは学生ギルドでないとお招きできませんでした。
コンサートホールはフェスティバーレ実行委員会という名前で最初おさえましたが、あらゆる事情があり、途中で主催者は鈴木の個人名に変更しました。
コンサートホールの方に対し、文化振興財団がお電話されて、鈴木さん個人名にされると言われますが?と問われた問いに対して。
鈴木さんは学生さんに負担や責任を負わせたくないと思っているはずで、だから個人名の申請にし直してきているんじゃないでしょうか、別にコンサートホールとしては変更申請されれば困らないしそれでいいんじゃないでしょうか、、、っていいように解釈してくれてそれが通りました。
(正直なところ、ネットだけではなくその場でチケットを売るようにするために文化振興財団に登録する必要があり、団体登録だと1万円かかる会費が個人だと安かったという、、、、。
理由はそこなんですが、どういうわけか説明前にそう解釈してくださったおかげで個人名でコンサートホールを借りてしまうというおそらくかなりの難題が、あっさり通りました)

五回目企画中ですが
学生ギルドは他で忙しいので、フェスティバーレに割く時間はなく、おそらく完全に関われないか、当日の展示や出番で何か役割があったら関われるかなというところです。主催は鈴木の個人名で最初申請しています。(名前を出すというのは何があってももちろん責任からは逃げられないですので、かなりの覚悟ですけど自分がやりたいことだから責任もって名前を書いています。)

それでも五回目の企画書にも、学生ギルドが始めたことだから、多大すぎる協力団体として名前を連ねていました。

昨日のプレゼンで、審査員の方が最初の方で「一回目の4年前から学生ギルドでされていて、今も学生ギルドなんですか?その方は卒業されているのでは?その団体構成はメンバーが変わっているのですか?」と聞いてくださいました。

当時豊田高専に在籍していたのですが、その後大学へ編入、大学院に進学していますので、今もまだ学生です
と答えました。
稲垣さんが学生でいてくれてること、こんなに何年も活動できていることは
ほんとうに有難い話だなと改めて思いました。

豊田高専での育ちが何が特別かって、私たちが出会ったスタートアップウィークエンドなどに行くことやアルバイトの社会体験をすること、それが16歳からすぐ可能ということ。(もちろん環境はあろうとも何を選ぶかは個人の選択なのでそこに踏み出した稲垣さんのことは尊敬しています。豊田高専の先生でさえ、あの人はそういう人だからと評価されてるのを聞いて個人的に高専生だからできることではいとも納得しています)

ただ。校則や大学受験に縛られず、自分の試行錯誤を早い時期から経験できるということはやはりどの学生にとっても貴重だと思います。
ある程度身分を守られる学生という立場でできること。
それってやっぱり改めてすごいことだと感じます。
ラッキーな人の恵まれた特権にだけするのではなく、そんな体験を多くの16歳に手渡すのはどうしたらいいんだろうと思います。

わたしの個人的な経験としては、高校生の間に海外に出ておくことは意味があるとの家族の考えから、高3の受験生なのにアメリカカナダのホームステイに行ったことがあります。確かにその時期に行ったことに意味がある。あれは私を形作る大きな経験だったので、若く心が柔らかい時期、試行錯誤の期間がのちに残されている時期に動くこと、人が自分のやりたいことに出会うためには時間がかかるものなので。早いうちの社会経験。それはほんとうに大事だなと感じます。

私は高専はつくれないけれど、大学受験のシステムも変えられないけど
高専の学びでいろいろなことをしている人と共に、何かをやることで
そして彼らの動きをオンラインプログラミング教室STREAMのなかで伝えることで
自分たちにほど近い年齢の人でもこんなことをしている、というのを生徒さんに見てもらう、そして何かでその人の心のなかにあるものを触発する。

自分にだってできた、自分のやったことで感謝の言葉が返ってくる、そういう場づくり。

できることは小さいけれど、その価値を痛感しているので。

STREAMをそういう内側からの何かを育てる機会を与える教育機関にしていきたいと
いつもいつも思っています。

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