師匠の話。

あまり語ってきた事は無いのだが、僕には師匠がいる。あまり語ってきてないと言いながら、しっかりプロフィールにはその名前があるので、ご存じの方も少なくないのかもしれない。

僕の師匠は浦沢義雄である。
アニメ界イチの「奇人」と名高い、名脚本家だ。
代表作は「忍たま乱太郎」「ラッキーマン」「カーレンジャー」「ボボボーボ・ボーボボ」「たこやきマントマン」と挙げたらキリが無い。
キリが無いのに、なんとなく想像がつくはずだ。どのアニメも、何かどこかが狂っている、おかしな世界なのだ。

例えば、戦隊ヒーローシリーズでも屈指の奇作と言われている「カーレンジャー」。詳細は省くが、町中で子供達が殴り合いの喧嘩をしているシーンがある。これを見つけた、変身前のヒーローたちが言うのだ。
「暴力はやめろ!暴力するなら、暴力するぞ!」

なんという台詞か。
おざなりに言えばこんな台詞「やめるんだ!」で済むと言えば済むではないか。でもそうではない。脚本とは、如何に普通の言葉を使わないかだ。
そこに「不条理」という方法で挑んでいるのが、師匠なんだと思う。

師匠のその奇人っぷりと言ったら無い。脚本は未だに原稿用紙に手書き。
ワープロが普及し始めた頃、後輩作家がそれを持ち込んだのを見て窓から捨てた事があるらしい。「俺より楽するな」と。

そんな人の弟子となったのが、今から8年程前だろうか。
当時まだ大学生だった僕が「将来脚本家になりたい」と言った所、
突然「お前は今日から俺の弟子だ」と言われたのが始まりである。

かと言って、脚本のそれを教わった事は無い。
師匠は他人の脚本を読まない。兄弟子に当たる大和屋さんも、読まれた事が無いと笑っていた。

では何が弟子だったのか。僕も弟子本来の姿というのは正直よく解らないが、なんとなく師匠の姿から「人生の面白がり方」を学んだ気がする。教わったというより盗んだに近い。あの人の側に居たら、嫌でも盗んでしまう。

弟子になったばかりの頃、ほんの半年位だか、師匠とお付き合いのある制作会社さんに挨拶回りに行ったりと、何かと行動を共にしていた時期があった。例えばその会合が昼前だったりすると、「昼飯どこがいいかな」と師匠はよく聞いてきた。
「あそこの○○って店、有名らしいですよ」
「ふーん。じゃあ、無しだな」

驚いた。師匠は、僕が提案する人気店や美味しそうな店をことごとく除外していく。一体何がしたいのか聞いてみた。

すると師匠は「出来るだけ不味そうな店を探せ」と笑った。

理由はこうだ。
例えば、美味しそうな店を見つけて入るとする。
これが予想通り美味しかったとする。
美味しそう、から美味しいは予想通りなので言い換えると「プラスマイナスゼロ」なのだ。
逆に、予想に反して不味かったとする。
美味しそう、から不味いは予想を下回り「マイナス」となる。

では逆に、不味そうな店はどうか。
これが予想通り不味い場合。
予想通りなので「プラスマイナスゼロ」。
ところが、予想に反して美味しかった場合。
これは嬉しい裏切りである。予想を上回るので「プラス」になる。

お解り頂けただろうか?
美味しそうな店に入るというのは、一見悪くないのだが、よくよく考えると「プラス」が無い。一方の不味そうな店に入れば、なんと「マイナス」が無くなるのだ。

いや、確かにそうですけど…と、反論が喉まで出かけたが、すぐに引っ込んだ。屁理屈に理屈を並べてどうする。正しいかどうかなんてどうでも良い。何よりその方が、面白いでは無いか。

この考え方は、今の僕の作風にも大きな影響を与えている。
「面白いこと」を考えるのではない。
「面白がり方」を考えるのだ。
これが、アイディアであり、人生の楽しみ方なんだと。

僕と師匠は駅前で一等不味そうな中華屋に入った。
僕はチャーハン定食、師匠は天津飯か何かを頼んだ気がする。

「不味いな」と師匠が笑いながら言った。
僕も「不味いですね」と笑いながらチャーハンを食べた。
数少ない、記憶に残る不味い味だ。


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