舞台「そこまでだ悪いやつ!」の話。

もう昼過ぎだと言うのにまだ家にいる。
髪型もボサボサで、服装も刺繍ロゴの入ったTシャツではなく寝巻きだ。照明に照らされたステージではなく、蛍光灯が照らすテレビで「スーパーメトロイド」をやっている。サムスの発するビームが、ほんの少しステージの輝きを彷彿とさせるが、やはり違う。

あぁ、終わったんだなと思った。

僕の所属する劇団「無情報」の6本目となる本公演、「そこまでだ悪いやつ!」が昨日終演した。
このご時世に幕を挙げられるだけでも奇跡に近いのに、無事に幕を閉じる事まで出来たのだ。


この企画が動き出したのは昨年末の事だ。
11月に「スリッパ・ウェスタン」という作品を終了させ、すぐに次回作の制作に取り掛かかったのだ。

『手術を控えた少女に、逆にホームランを打つなと言われたらスラッガーはどうするのか?』
これが一番最初に思いついた「種」であった。

が、野球では展開が膨りきらなかった。
では、何に少女が夢を乗せるべきか。
考えた結果生まれたのが「ヒーローと戦う悪の怪人」であった。これで、「芽」が出た事になる。

次に自分の頭の蛇口をひねる。
「水」を与える為だ。
過去に出会って来た演者を思い返して、どんな人にどんなキャラクターを演じてもらうべきかを考え始める。

真っ先に決めたのは「主演は芳賀勇である」という事だった。
無情報としても、芳賀勇自身としても初の主演舞台。
彼のなんとも言えない悲哀の表情で、少女のために奮闘する姿を想像した。これは、いけそうだ。

前作で主演だった前川には今回、サポート役でありながら芯のある男を演じてもらおう。
その横でひょうきんに笑う橋詰も観たい。
岸本はやはり映像でインパクトを残して欲しい。

そうして今度は、劇団外の演者へと想いを馳せる。

前作でその芝居を更に惚れ込んだ市原一平に、より難しい「乗り物」を書こうと閃いた。彼はどんな乗り物も乗りこなす。だとするなら、これはどうだと。

更に前作では寡黙だった遊佐澄花には、逆にぺちゃくちゃと喋るキャラクターをぶつけたい。だとしたら、こんなんはどうだ。

前作、自分の意見が言えない弱い少女を演じた上武京加には、自分の意見を押し付け過ぎる人をやってもらいたいと思った。真逆の人間すら操れるのが俳優という生き物の素晴らしさだ。

元気いっぱいでハキハキとした少女を演じた倉沢しえりには、おっとりのんびりしながらも悲しみを持つ少女の姿を観てみたくなった。彼女なら、この表情が出せると思ったのだ。

藍には、やはり愛すべきお馬鹿が似合う。けれど、今度はこんなカタチでどうだ、と。また別の藍の熱さを観てもらおうと。
そんな具合である。

更にそこに数年ぶりに僕の脚本に出てもらった上杉英彰の姿が浮かんだ。彼の屈託の無い笑顔には何度も助けられた。

全体を俯瞰で見て、冷静でいながらもコメディでなければならない役どころには、大内智裕がすぐに浮かんだ。彼ならば爆発させてくれるに違いない。

憧れの先輩に目を輝かせる青年には、小村玄が浮かんだ。彼が日頃飲みながら、諸先輩の芝居の話を聞いてる時のあの目は、正にそれだと思ったのだ。

また昨年末の朗読劇「グーとパーでチョキを出す」に出演してくださった、八幡夏美さんの顔も浮かんだ。
楽屋で「ガクさんの本が好きだからまた出させて下さい」といった社交辞令を、馬鹿になってまに受けてオファーさせて頂いた。結果、喜んで出演して下さった。

病に苦しむ少女はどうするか。
病に苦しんでそうな少女では、コレは面白くない。
とても病に苦しんでなさそうな少女が良い。
だとすると、鈴木彩愛しか居ないだろう。

ヒーローショーには外せない「お姉さん」の姿を想像するウチに、中﨑絵梨奈の顔が浮かんだ。彼女あのキラキラした笑顔は正にお姉さんのそれだ。だとしたら、陰りも観たいと同時に思った。

凛としていて最強、されども恋する乙女心を持ち合わせたキャラクターは、執筆当初からある程度見えていた。
しかしながら、本読みの段階で、山崎理彩の声を聞き少しプランを変えた。思ってた以上に、彼女の乙女心を表現できるぞと嬉しくなったのだ。嬉しい誤算というべきか。これだから当て書きは楽しい。

正義とは何か。この本の核だ。
生き様そのものに正義が観える人がいい。
松本祐一と初めて会った時、これはいけると確信したのを覚えている。案の定、彼はこれ以上にないキャラクターを作ってくれた。演じる上では説得力こそが一番難しい。ところが彼は、それを伝えきったのだ。


かくして、芽は水分を汲み上げた。
理想的、或いはそれ以上といえるキャストを揃えた。
あとは陽の光に当てながら、花が咲くその日を待つだけだ。

準備は芝居だけに限らない。
スタッフワークも動き出す。
これは言わば、作品の「添木」だろうか。

舞台美術はもう5年の付き合いになる村上薫さんだ。
普段だと僕が物凄く簡単なラフスケッチを描き、それを具現化しつつ更に良い物にしてくれる、という作業工程なのだが、そんな彼女が初めて、「こんなのはどうかな?」と、僕のスケッチとは全く違うプランを提案してくれた。僕はそれをいたく気に入り、すぐに採用した。
実際舞台美術が建った時、ため息が漏れた。
なんて良いステージなんだ。その作品のために計算され尽くした、最高の舞台ではないかと。

音響も僕がこの仕事を始めて最初に出会った「音響さん」の銀次さんだ。あまり見せないが、こっそりと繊細な工夫を随所に見せる彼の音響術は昔から好きだ。
かつて30席程度の小さな劇場で、天井が低すぎて座っても頭がついてしまうようなオペブースを共にした事もある。そんな仲間と、ここまでこれたなというのは純粋に感慨深かった。

照明は若き天才・航大だ。
歳下ながらその演出術には驚かされてばかりだ。
僕の本をいち早く読みとり「ガクさん、こういうの想像してたでしょ?」と、したり顔が見える様に鮮やかな灯りを作る。今回の作品が、より深くなったのは、この灯りのおかげであることは間違いない。
灯りとは、無意識に刺さる情報なのだ。我々にピッタリではないか。

アクションの振り付けには舞台「どうせ死ぬなら強火がいい」に出演してくれた長瀬弘明に依頼した。
彼の、設定とキャラクターの全てを織り込み計算したアクションは素晴らしかった。カッコいいだけじゃない、ドラマがあるのだ。

オープニング映像には付き合いの長い「っポイヤツ」さんにオファーをした。特撮好きでもある彼なら、喜んでやってくれると思ったが、喜んだのはこちらの方であった。非の打ち所がないオープニングではないか。

そんなオープニング映像にのせる為に僕が作った実に稚拙な楽曲を、前作「スリッパ・ウェスタン」にも出演してくれたHIROYUKIさんに依頼した。
お客様にとってはプチサプライズな豪華過ぎるゲスト。
ちなみに、曲が終わっても声を伸ばし続けるアレはHIROYUKIさんのアドリブ。収録中、笑いを堪えるのに必死でした。

そして、制作チーフに三國谷さんが入ってくれている。我々無情報の、母の様な存在の人だ。
母との現場経験も数多とあるが、本番を観た彼女が初めてこんな事を言った。
「ガクさんの本で初めて泣いたよ」
その言葉に初めて泣きそうになった。

ありとあらゆる天才を集めて、
凡才が書いた作品が昇華されていく。
蕾は膨らみ、やがて、咲く。

花の一生は短い。
咲いてしまうと、あっという間だ。

千秋楽。
生まれて初めての光景を目にした。

スタンディングオベーションである。

大劇場ならまだしも、お世辞にもそうとは言えない本作で、こんな賞賛を頂けるなんて思いもしなかった。
涙を通り越して笑いすら込み上げてきた。
40本。
ここまで来るのに40本の舞台を書いてきた。
だとすると、まだまだこれからだなと、帯を締め直した。

ご来場、誠にありがとうございました。
少しでも笑ったり、泣いたり出来たのなら、それは今ここに書いた人達の絶え間ない努力の賜物で御座います。どうか、ご贔屓によろしくお願い申し上げます。

こんな状況ですが、よく手を洗いながらお待ちください。我々は、腕を磨いておきますので。

さて。

花は枯れ、花弁は朽ち、そして新しい種が顔を出しているのであった。

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