ポイントカードが下手な話

貯まらない。
堪らなく貯まらない。

僕の人生においてポイントカードを貯めた記憶が1度も無い。
いや、正確には「貯められた事が1度も無い」のだ。

例えば新しく見つけた好みの洋服屋であったり、或いは新装開店のラーメン屋だったり。「また来たいな」と思うお店の帰りしなに「ポイントカードお作りしますか?」と聞かれれば、断る理由はどこにもない。
なんでもポイントが1列貯まると煮玉子が貰えるらしい。
この店の煮玉子をとろけさせたい。
箸で割って、その中身を噴火させたい。
そんな野望を財布にしまい、店を後にするのだ。

ところがだ。
案の定、二度目の来店は程なくしてやって来るのだが、その時に野望もポイントカードもすっかり忘れてしまっているのだ。
酷い時はその場で再びポイントカードを作り、野望と共に財布にしまうが、財布の中に既に過去の野望が埋もれている事に気付く。
2つの同じ野望と複雑な想いを抱えて帰路につく。
こんな事ばかりだ。

かくしてポイントは貯まらず、ポイントカードだけが山積まれていく暮らしに辟易としていた所に、技術革新の光が差し込む。
そう、アプリだ。
今やスマートフォンに全てのポイントカードを内蔵出来ると言っても過言ではない。これで野望が重なる事もない。
確実に、貯める事が出来る。

はずだった。

ここで忘れてはいけない僕の性格がある。
極度の「せっかち」なのだ。

それはもう自分でも異常だと自認している程にせっかちだ。
まず電話中に立ち止まる事が出来ない。家の中でもウロウロ、ウロウロ、ベンガルトラ。
いわゆる「ぼーっとする」が出来ない。自分の日々でぼーっとした覚えが無い。旅行中のプールサイドでさえ読書してしまう男だ。
行列なんて以ての外。並べない、待てない。
「今日はあの店のアレが食べたい」と思っても、その店に行列あろう物なら即座に踵を返す。「今日じゃなかったんだな」と思う。
そんな性分なのだ。

それはコンビニでも同様だ。
基本的にコンビニ入店から出店まで足を止めたくない。
ベルトコンベアの如く、流れるライン作業で終わらせたい。
おにぎりも迷わない。大体の位置も解る。
だからこそ、唯一足を止める会計ですらいち早く済ませたいのだ。

そこで問題は冒頭に戻る。

「ポイントは?」

スマホ決済を利用する僕に必ず店員さんはそう尋ねる。

「大丈夫です」

何も大丈夫じゃない。
今週だけで何度このコンビニに来たものか。
真面目にポイントを貯めていたら、今持っているコーヒーはタダになっていたかも知れない。頭では嫌という程解っている。決してそんなはした金、などと言える身分でも無い。にもかかわらず、「面倒くさい」が勝ってしまうのだ。

この様に病的な面倒くさがり屋である僕の職業は「脚本家」である。
如何なる媒体を相手にしようとも、武器となるのは「文字」だけだ。
ひたすらに文字を打ち込む。タイピングの音は、トタン屋根を叩く雨音だ。時に激しく、時に止まりを繰り返しながら、ただひたすらに書く。
先日書いた舞台脚本は、100分の上演時間を想定した物でおよそ4万8千文字になっていた。


なぜこれが面倒くさくないのか。
5万字近い文字を、五里霧中に書き進む作業など、面倒の極みでは無いのか。自分でもたまに驚く。なぜこんな事が続けられるのか。いやむしろ、続けたいのか。

こんな話を聞いたことがある。
「だから好き、は嘘。なのに好き、は本当」
恋愛指南的な言葉だ。パートーナーを愛する理由に「〜だから」が付く場合はやや疑い有り。「顔がいいから」「収入がいいから」「趣味が合うから」。決して否定しないが、案外コレは脆い物なのかも知れない。
一方の「〜なのに好き」である場合、信頼性が高いと言うのだ。「全然タイプじゃないのに」「趣味が合わないのに」「最初は嫌いだったのに」。身の周りで長く続いているカップルや、結婚した夫婦に聞くと案外「なのに」が多く、あながち外れているとは言えない論だと思う。

これを僕の仕事に置き換える。
「ひたすら文字を書き続ける七面倒臭い仕事なのに好き」。
だから続けられるのかも知れない。

好きだけで続けられる仕事でも無いのかも知れない。
けれど、まず好きで無いと何も続けられない。
続けても楽しくない。
そういう意味では、せっかちな僕にこそ天職なのかも知れないと思う。

今年で作家デビューから丸8年が経とうとしている。
あっという間であった。
まだまだだなとしか思えない部分が多い。
面倒な道だが、もう少し「なのに」と思っておこう。

ところで、この仕事のポイントはいつ貯まるんでしょうか?
煮玉子、くれますか?


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