広場恐怖症の話。

一年中春ならいいのに、と思いながら歩いていた。
3月に入り、そうやく春めいてきた気温に気づかず、ここ最近の癖で連れ出したコートが暑い。でも不思議とその暑さも、嫌な気がしなかった。

電車は相変わらずの満腹具合で、今にも吐き出してしまうのではないかと思う。そんなに食べて、太っちゃうよ?毎日走ってるから大丈夫?あぁ、そうですか。

地下鉄が走る。轟音が響く。乗客は皆俯いて、スマホに夢中だ。
いつもと変わらない風景。
ただ、季節外れのコートのせいで、妙に体温が暑い。
体の中心から、嫌な熱さが指先までビリビリと響く感覚。
冷や汗が出るようだ。なんだか、気分も悪い。
なんだろうこれは。
とてつもなく、嫌な気分が襲う。
次の駅で降りようかな。

ふと、電車が止まった。
ほっと安堵し、ドアに向かったのだが、ドアの窓に映るのは、駅のホームのそれではなく、分厚いコンクリートの壁だった。

『停車信号です。しばらくお待ち下さい』

アナウンスに再び身体が硬直する。
何故だろう。今すぐここから逃げ出したい。
このまま、ここの閉じ込められ、酸素が全てなくなってしまうのではないかという感覚が次々に襲い来る。
「そんな訳がない」という脳内の反論は、いとも簡単にもみ消されていく。

電車が動き出した。
もう少し、もう少しの辛抱だ。
なんだか今日は体調が悪いみたいだが、一度ホームで深呼吸でもすれば平気だろう。そう、思っていた矢先。

『停車信号です。しばらくお待ち下さい』

再び電車が止まった。
これにより、僕の中で何かがプツッと途切れた。

その日からしばらく、僕は電車に乗れなくなってしまった。

✕     ✕     ✕

これは、今から4年前の話だ。
それまでは何ともなかった、むしろ秘密基地やジャングルジムといった「狭い所好き」な少年だった僕が、すっかりと閉鎖空間を大嫌いになってしまったのだ。

当初は『閉所恐怖症』だと思っていた。
しんぷるに狭い空間が苦手なんだろうと。ピーク時は本当に電車にすら乗れなかったし、何よりも厄介なのが『観劇』であった。

こんな仕事を選んでいる位なので『観劇』は好きだ。
後輩の知らせを受け、小劇場にそれ晴れ姿を観に行く事も多かった。
ところが、この時は全く観る事が出来なかった。
「閉所と言う位だから、劇場の大きさが問題なのだろう」と当時は思っていた。

これでは仕事もままならないと、クリニックに通い薬をもらい徐々に緩和されていった。電車も乗れるようになり、小劇場も昔よりは平気だ。

ところが、一つ違和感があった。
例えば、飛行機の中。これももの凄く苦手なのだが、果たして閉所なのか?
少なくとも僕の自室よりも明らかに広い。にも関わらず、たまらなく怖いのだ。
さらに劇場。これも小劇場に限らず中・大劇場もあまり得意でない事が解ってきた。大好きな映画を映画館で観るのも、もし少しでも寝不足だったりしたら危ない。途端に怖くなってきてしまうのだ。

その後色々調べて解ったのが、これは『広場恐怖症』という物のようだ。

簡単に言うと『自分の意志で脱せない空間が怖い人』の事である。
まさにこれだ。
広さは関係ない。
仮に広い体育館の出口が完全に閉鎖されてしまったら、僕はパニックになってしまうだろう。逆に一人用のカプセルホテルでも、出入り自由な時点で割と平気だ。

そう考えると『観劇』も合点が行く。
「ここから1時間、動けません・出られません」という状態が苦手なのだ。
なるほど、僕は『広場恐怖症』なんだな。

そう思えると、少し楽な気分になった。
症状が無くなった訳ではないが、何よりも自分の「弱さ」の理屈を知れた事が大きい。理屈がわかれば、多少なり対処も出来る。

なぜエッセイにこんな事をツラツラと書いたのかというと、まずは「広場恐怖症」という存在を(僕自身全く知らなかったので)知ってほしいという事。それと、これを読んでいる人も、何か苦手があったら、その理屈を是非調べて欲しいと思ったからだ。

「苦手」を敵だとするならば、仲良く酒を飲み交わして味方にしたい。
相手をよく知るしかないのだ。大丈夫、あなたの苦手はそんなに悪いやつじゃない。案外、話せば解るいいヤツだと思う。


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