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顎関節症の社不日記-551日目

 秋というには聊か暑いが、夏が跼るのを目に見えて感じられる時期になった。
 万物に盈虧がある。夏の終わりを思い、厳寒を通り、また夏が過ぎる。何度と、何度と。
 重なった年月を見れば、もう自分も立派な人間でなければならない気がしてならない。ふいに、軽佻な思惑にて『若いから』と許される喫水線は超えてしまったとのではないだろうかとも思う。どうモラトリアムな人間であろうと、それが外側に表れるわけでない。外面の薄い部分、それを纏おうとする自らの一部分に「お前はこの後どうなるべきのか」と、問いただされ、責められる気さえするのだ。
 しかしその思いこそあれ、短兵急に人間が変われるわけでもない。
 渓流の枝のごとく、引っかかり、流され、いつか止まる時を待つまま甎全と生きているのだ。

 そうして九月末に、二十三の歳を終えた。

 ということでマヨネーズを買った。

 何故?と今思ったかもしれない。だから言ってるだろうが。誕生日だったんだって。俺と、あとシャミ子とかも誕生日だし、なんかこう……運動会とかも結構この日にやりがちだし。なめてんのか?運動会を。
 誕生日と言えばケーキだが、別段甘いものが好みでもないので買わなかった。ケーキだって食えないわけでないし、偶に食べたいかもなと思う日もある。だが今日はその『かもな』の日ではなかったので。

 さて、冷蔵庫の中身がたまたま空になったこの日、スーパーへと自分は出かけた。
 普段と買うものは変わらない。キムチ、納豆、豆腐、もずく……店内を左回り、いつもの場所のいつもの商品をカゴに入れていく。
 そんな中でふと、自分の誕生日に気づいた。

 正直な話、誕生日が嬉しいわけではない。人間若ければ若いほどいいのだ。あくまで年齢なんぞは数字上のものであり、肉体的には誕生日の前も後も大差はないが、人間社会に暮らすにあたってはその『数字上』が大事な時もある。
 とはいえ、せっかくだから何か買ってもいい。あまり金銭に余裕があるわけでもないが、まあこんな日でもなければ何かを祝うこともないだろうし。
 
 しかし、何を買う?

 これといって今食べたいものは無い。一応これから夕食とはいえ、もうなんとなしには食べるものも決めていた。買うとなると……おやつ、嗜好品、調味料……?

 そうしてマヨネーズを買った。
 一人暮らしを始めて一年半が経ったが、自分はまともに料理をしない。最後の料理はもはや記憶にないくらいだ。それに従うように、冷蔵庫にはいつも調味料らしきものが存在することは無かった。あるのと言えば納豆にかけるポン酢とラー油程度のものだ。
 マヨネーズ。そういえばそんなものがこの世にはあったな。そう気づいた時、なんとなく心の中でしっくりくるものがあった。冷蔵庫の手前側、開くドアの内側に、マヨネーズがあると、言葉に出来ない感覚で、自分だけのものだが……ちょうどいい気がした。

 マヨネーズ。生きるためにはまったく必要の無いそれはある意味、富の象徴だ。江戸時代の人間であればどう望んでも食べられない物、それが目の前にある。400gも。
 ロクに生きていない分お金もあまり無い日々を過ごしているが、その日々の中に一つ、こうして得てしまった。
 無駄とは幸福の一助であり、時に全てである。
 このマヨネーズをして、400gの幸福としてもいい。事実、自分はそこそこにマヨネーズが好きだ。ポン酢の方が好みだが、ケチャップよりは上。醤油とちょうど同じくらい。
 使い道は特に思いついていないが、マヨネーズがあることでこれから買う物に変化を付けられるかもしれない。マヨネーズがあるからカニカマでも買おうとか、マヨネーズがあるからきゅうりを一本買おうとか。
 調味料とは食材のためにあるのでなく、食材が調味料のためにある。もしかするとそうなのかもしれないな、と思案しているうち、よりマヨネーズが好きになっていく気がする。

銀色のふたは、いつも魔法を閉じている

 祝われるだとかそういうことを望むわけではない日だったが、こうして目の前にマヨネーズがある。そのことは、意図せずしてここ数日で一番嬉しいことになったように思えてきた。
 買った時のなんでもなさと、それを思っている時に沸く感情。過ぎて、会って、思考の中ふと気付いてしまう。これは恋に近いのかもしれない。
 
 この日に名がつけられるとしたら、自分の誕生日を差し置いて、してもいいかもしれないな。『マヨネーズ記念日』に、さ。
 毎年マヨネーズ記念日がある。これは中々いいことだ。自分は人類にとってかけがえのない宝物ではないかもしれないが、マヨネーズはまさに『叡智』だ。祝われるべきであるとするなら、マヨネーズはその存在をさらに祝福されても良い。
 自分もこうありたいものだ。マヨネーズ。自分の目の前にあるものがすべてでなく皆が思い描くイデアの中にこそ存在するものだが、冷蔵庫で見かける機会があるなら、それに対しもう少し考える日が増えそうだ。 

 冷蔵庫から取り出し、持ち上げ、少しだけ腹を押した。キャップの隙間からしゅうと空気が漏れる。力を緩めると、元に戻った。

 見つめていてもしかたがない。これから夕食を食べることにする。これを書いている間も、少しづつお腹が空いていっているわけだ。
 今日は敬服させてもらった。マヨネーズ。偉大なヤツだよお前。
 
 
 それでは。

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