顎関節症の社不日記-86日目

 こんにちは。86日目ってことは、あと2週間すると100日目なんだとか。

 コロナウイルスが流行ってからは人に会う機会が圧倒的に少なくなっていたが、1人暮らしを始めてからは家の中でも1人。孤独の中で思惑することが多くなった。元々趣味がゲーム(半分以上はRPG)だとか本読むだとか書くだとかなので孤独でいることにはまあ慣れているというか、相性がいい生活をしている。

 本を読むというのはどこまでも孤独な作業で、例えば誰かと一緒に同じ一冊の小説を読むということ中々ない。さらに言ってしまうと情報を得る分にも娯楽としても効率が悪い行為だ。文字を読んで、理解して、思い浮かべる。映像はただ見れば分かるという部分も多いが、本には絶対踏まなければいけない工程というのが多い。若者が小説やエッセイといった文化から離れるのはまあ当然だろう。
 ただ本には工程が多い分、同じ本を読んでも読んだ人それぞれがより多くの別の楽しみ方をできる。とある単語を見て、色を提示されて、情景を描かれて。それらの心象は人によって様々。だからこそ本はそこから得た感性の共有が難しく、深く話をしようとしても他の娯楽と比べると心底にある『本を読んで得たもの』に大きくズレがある。読む中でも読んだ後でも結果として1人でしか分からない部分は多い。あの人の顔はきっとこうだった、だとかだ。
 まあ何が言いたいかというと、本を読む人間は読まない人間より孤独に慣れているだろうということである。まわりくどーくなった。文字を書く人間は書いている途中一時的にトランス状態に陥るものなのでしょうがない。

 そんな孤独の中で思う事はやはり多人数の時と比べるとどうしても少し暗く、また現実的になりがちなものだ。休みが終わった後の労働とか、将来とか。
 人が人と会うのにはやはりこうしたことから目を背ける為というのもあるのだろう。人は人と会っている間は夢を見ていられる、とでも言うべきだろうか。孤独にふと向き合うと、虚空に自己の心理から出づる大きな暗い塊を幻視する。そこから目を背ける為にも人との縁はあるのだろう。

 ご飯を食べたあとなので思考があまり上手くまとまっていない。着地点をどうしようとしたんだっけ。多分人ともう少し会った方がいいんだろうな、みたいなことを書こうとしたんだと思う。多分。
 いや違うかな、最初は結局娯楽なんて大抵最後は1人で楽しむものだとか言おうとしたんだっけ。忘れました。

 そういえば話は変わるが最近ローソンへ行くと時々店内でこの曲が流れている。

 いきなりネットのクソ煽り文句である単語から始まるので現実のコンビニからパソコンの前の自分に引き戻されそうになって頭がバグる。
 ネットの音楽がどんどん現実に溢れ出てきているのは感じていたが、こうもインターネットまるだしの音楽がコンビニで流れるか!とビックリしたという話。

 日記要素よし!今日はもうだめだ。あんまり上手い事なんも書けないや。なんとなく日記書いとこうと思ったのが間違いだった。酒飲んだ時の百倍頭にもやがかかっている気分だ。
 そんな中できっとこうして何か書き始めたのはきっと孤独のうちに見えたものから目をそらすためなんじゃないかなって思いますね。そういう思いが無ければきっと孤独なんて言葉使ってないだろうし。

 寝ます。

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