【第10回】自身のルーツ

野見山先生が先生が亡くなった。
【訃報】洋画家の野見山暁治さん死去 102歳 文化勲章受章|NHK 福岡のニュース

昨年?骨折されたりしたものの、相変わらず創作活動に励まれているとお伺いしたいので、とてもとても残念である。
(先生のお元気さでは、平櫛田中の生存年齢107歳は超えてくると思っていたが、100歳を超えるとさすがに何があるかわからない。会いたい人がいるなら、早めに会っておいたほうがいいと思った。過去にも同じ経験したことある)

正直、野見山先生の絵画に関して、私自身は良い悪いを判断できる物差しを持ち合わせていないのだが、野見山先生の書く文章が私はとても好きだった。考えてみれば、以前ノートに書かせてもらった土門拳さんの文章もその表現がとても好きだった)

そんな野見山先生の言葉の中でとても印象的な文章がある。
『自分のルーツは、筑豊の炭鉱のボタ山なんです』
野見山先生はフランスに留学されている際、ドイツのルール地方に知り合いと出かけて無性に涙が出たらしく、その際に自分のルーツを思いだしたそうだ。

私自身も個人としてのルーツは、正直どこなのかわからない。
(春と秋の墓参りは毎年するが)
ただ、私の国籍は日本であり、日本人としてのルーツは持っている。
最近、自分らのルーツを台無しにすることが多いように感じる。
(墓じまいとか昔ながらのお祭りの廃止など)
日本は、世界的に珍しい2000年以上単一民族によって守られた国であり、
他国からの侵略を受けたことが少なく、過去の歴史遺産がとりわけ残されている国である。
そういうものを簡単に破壊していいんだろうか、廃止していいんだろうか。一度壊して、破壊したものは簡単にはもとに戻らない。

過去の人がいたからこそ生かされている。
過去の日本人が頑張ったからこそその恩恵に自分らはあずかっている。

そのことに僕らは、感謝しないといけない。

考えてみてほしい。
1943年に明治神宮で学徒出陣式してるが、その場所で20年後の1964年に
オリンピックをしてる。そんな国が他にないし、先人たちの努力に感謝である。

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