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生まれ変わってもあなたに逢いたい

4月11日に父が亡くなりました。
10日後に63歳になる予定で、新しいことが好きな父に「誕生日にパラグライダー行ってみる?」と提案すると、すごく嬉しそうに喜んでいた顔が今でも忘れられません。

私の父は前向きで、ストイックで、おおらかで、とても面白い人です。親友のように接しやすく、いざという時は頼りになる父親でした。お酒とタバコが大好きですが、健康には気を遣っていて、会社に行く前や会社終わり、休みの日にはジムへ行っていました。血圧を下げるために苦手な納豆も頑張って食べていました。

父が亡くなった後、お気に入りの服を着せるために帰宅しました。ベランダには父が干してくれた洗濯物、昨晩買ったであろう魚の缶詰や、私の好きな食べ物、机には晩酌して片付けていないままのコップがありました。

父の仕事終わりの時間になると、ビールと一緒に私の好きなおやつを買って帰ってくるような気がします。実は父が死んだのは夢で、目が覚めたらいつも通りの日常なのでは...と思ったり、あれ?なんでお父さんは写真の中にいるんだろう?お父さん死んじゃったんだっけ。お父さん帰ってくるのまだかな...もう帰ってこないのか。と何度も繰り返します。

興味がないのに一生政治の話をしてくるし、お酒を飲んだ後はいびきが大き過ぎて眠れないし、おならはめちゃくちゃ臭い。料理は得意ではないけれど、私が風邪をひいた時は林檎を擦って食べやすくしてくれたり、作ったことないのに頑張っておかゆを作ってくれたり。私が美味しいと言った食べ物は、飽きるまで買ってきてくれました。

仕事が大変で忙しいのに、車で送り迎えをしてくれたり、洗濯や洗い物をしてくれました。私が潰瘍性大腸炎で苦しんでいた時は便漏れが酷く、我慢できずに床も便器も汚物まみれになりました。私は恥ずかしさや悔しさ、難病の辛さに心も身体もグチャグチャでしたが、父は何も言わずに掃除をしてくれました。働けなくなった難病患者の私と暮らすのは、かなり大変だったと思います。嫌味や小言の一つも零さず、ただひたすら仕事をして、難病の私をサポートしながらいつも通りに接してくれました。父の愛情の深さに私は胸がいっぱいでした。

父はもうこの世にいないけれど、私は明日を生きていかなくてはなりません。父が約一年私をサポートしてくれたお陰で、働けるくらい健康になりました。私は心が病むと、何で私は生きているんだろうか。と考えたら止まらず、希死念慮が常に自分の中にありました。

亡くなってからは、父が繋いでくれた命を大切に生きようと思えるようになりました。父が行きたかった場所、好きだった食べ物、やってみたかったことを私が挑戦してみたり...勿論自分のやりたいことにも挑戦して、人生を謳歌しようと思います。今は父に会えなくて寂しいけれど、沢山面白い話や楽しい話ができるように一生懸命頑張ろうと思います。父に出会えて本当に良かったです。父親という肩書きだけでなく、私や家族のことを大切にしてくれたことを私は決して忘れません。

父の死を実感して、父と母の子供として生まれてきたことがどんなに素晴らしい出来事だったのか改めて感じることができました。今はまだ、前向きに頑張っていきたい気持ちと、もう会えない寂しさで胸が苦しくなったり、どちらも本当の自分なのによく分からなくなります。

昨晩は深夜にも関わらず、友達に電話をしたら家に来てくれて、泣き止むまで私の背中をさすってくれました。父の遺体が骨になったのを見届けたはずなのに、忘れているというか、まだ死んでいなかった状態の自分になる時があります。父が好きだった食べ物を買ったり、音楽を流してしまいます。

私は現在23歳なのですが、もっと父と話したり沢山出かけたかったです。どんなに涙を流しても、父には会えません。皆さんには大切な人はいますか?逢いたい人はいますか?

わたしは生まれ変わっても父に逢いたいです。

お父さん本当にありがとう。

天国に行ったら迎えに来てね。
沢山話したいことがあるんだよ。お酒はほどほどにね。また一緒に暮らそう。

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