資本主義は本当に理想の制度なのか【読書のすすめ♯1】
0.【読書のすすめ]シリーズがスタート!
こんにちは、Gakkyです。今回から新しい試みとして【読書のすすめ】というシリーズでの投稿をやっていこうと思います(もちろんそれ以外の投稿もします)。
内容は、最近話題になっている本や、僕が面白いと思った本を、わかりやすい形で紹介していくというものです。新しい考え方を知ったり、紹介した本を読むきっかけになるような記事にしたいと思っています。
実は最近積読が酷いスピードで進んでおり、そろそろ改善しないとな〜と思っていたので、自分としてはその動機付けにしたいと思っています笑 また、アウトプットすることで自分の脳への定着度も上がるので、いいことばかりですね!
というわけで、今回紹介する本は、【人新世の「資本論」】という本です。
この本では、現代の日本が前提とする資本主義制度は破綻しているのではないか?というテーマで話が進められていきます。私たちは知らない間に資本主義のルールを前提として生きていますが、果たして資本主義は本当に理想的な制度なのでしょうか? 資本主義について深く理解するためにも、一度資本主義を相対化してみましょう。
1. 資本主義の問題点① 外部化
1-1.労働の外部化
というわけで、資本主義の問題点について1つずつ見ていきましょう。まずは労働の外部化ということですが、これはざっくりいうと、しんどい労働はどんどん外部に回して見えないようにしてしまうということです。
資本主義制度は市場原理を基礎として成り立っています。市場原理のもとでは貨幣を持つことであらゆるものと交換が可能になるので(愛情とかはさておき)、個人・そしてその集合体としての企業は利潤追求のために動くことになります。そして、利潤追求を単純化すると、①価値あるものを生み出す②一方でコストは最小限に抑える、という2つの方向性があるといえます。
利潤追求する上で大きなコストとなるのが人件費です。②の要請に従って人件費を最小化しようと思うとどうすればよいでしょうか?
ここで外部化という発想がでてきます。つまり、先進国の中で人を雇用しようとするとどうしても賃金が高くついてしまう、だからまだ発展途上の国で生産可能なものはどんどん外部化して、賃金を安く抑えようということになるわけです。しかも、コスト最小化という観点で外部化を行っている以上、その労働環境はどうしても過酷なものとならざるをえません。
本書では以下のような具体例が挙げられています。
コンゴ南部では、クルザーと呼ばれるインフォーマルな形での奴隷労働や児童労働が蔓延している。ノミや木槌のような原始的な道具を用いて、手作業で、コバルトの採掘に従事しているのだ。そのなかには、6~7歳程度の子どももおり、賃金は一日あたりわずか1ドルほどだという。(第2章 気候ケインズ主義の限界より)
このような労働の現実は、私たちの国の外側に委託されてしまっているので、私たちの目には中々入ってこないわけです。このような意味で、資本主義は労働を資本を持つ者から外部化し、不可視化してしまうと言えます。
1-2 環境負荷の外部化
外部化は人レベルだけでなく、地球レベルでも起こっています。私たちも日々実感していることだと思いますが、僕が子供の頃と比べても夏の気温が上昇し、森林の量は減少し、海には大量のごみがあふれるという形で、どんどん環境問題が発生しています。なぜ環境問題の深刻さが叫ばれているにもかかわらず一向に問題は解決しないのでしょうか?
先ほども述べたように、資本主義の下では利潤追求が必要で、そのために、①価値を生み出す②コストを最小化する、という活動が行われます。そして、市場に任せておくと勝手に需要と供給が調整されて最適な量の生産がなされるはずである、と社会の授業で習うはずです。
しかし、利潤追求の際に考えるのはあくまで自らに降りかかるコストと得られる収入だけです。
例えば、ある工場で機械を生産するとします。工場で1個の機械を生産することで100の収入を得ることができます。一方で機械を1個生産するのには90のコストが工場の持ち主にはかかります。この場合100-90=10>0ですから、当然工場の持ち主にとっては機械を生産することが得ということになります。
しかし機械を生産することで環境に50の負荷がかかるとしましょう。そうすると実際には100-(90+50)=-40<0ですから、社会全体でみると生産をしない方がよいわけです。にもかかわらず、環境への負荷は個人には直接的に影響を及ぼさないので、そのコストは計算されず、結局機械は生産されてしまいます。
このように環境への負荷というのは、個人の利潤計算には入ってこないので、ただ市場に任せていれば最適な量の生産がなされるということにはならないのです。そして、個人・企業の利潤追求の代わりに負荷が環境に外部化され、環境にかかった負荷は将来世代に降りかかってくるわけです。(そのような意味で時間的にも将来世代に負荷を外部化していると言えます。)
2.資本主義の問題点② 希少性の産出
さて、先ほどまでは外部化について見てきましたが、もっと根源的な問題について考えてみましょう。
資本主義には、自由市場に任せることによって新たなビジネス・技術が生まれ、どんどん私たちの生活は便利になる、そしてそのような豊かさを追求することによって私たちは幸せになるはずだ!という考えが大元にあります。しかし、先進国に住む私たちですら、「お金がないから~ができない」という悩みが絶えず、「初任給じゃ暮らしていくのもやっと」、「子供を何人も育てることは到底できない、、、」という状況です。
資本主義に移行してかなりの時間が経過していますが、このまま資本主義を続けて本当に豊かな暮らしは実現されるのでしょうか?
さて、利潤追求のためには、①価値あるものを生み出す②コストを最小化する、ということが必要でした。先ほどまでは②のコストに焦点をあてて考えてきましたが、①価値あるものを生み出すためにはどうすればよいのでしょうか。
市場原理のもとでは、需要と供給によって価格が決定されることになります。
例えばあなたが新しい発明品を生み出すと、その発明品を供給をしているのはあなただけなので、価格は高い値段になると思います。しかし、だんだん発明方法がばれてくると、別の人はもっと安いコストで同じものを生産することが可能になります。すると、値段は下がり、これが繰り返されることで、あなたが生み出した発明品は利潤がでる限界点まで値段が下がっていきます。
つまり、同じ内容のものである限り、価格でしか差をつけることができず、結果的に利潤を産みだすことができなくなります。従って、資本主義の下では、できるだけ同じものにならないように他のものと差別化をして希少性を生み出していくことが、価値創出の鍵になるわけです。
さて、ここで大きな問題がでてきます。豊かな生活=満ち足りた生活、というように考えると、満ち足りた生活に希少なものは基本的に存在しないはずです。しかし、資本主義はむしろ他のものと無理やり差別化することによって、満ち足りたという状態を解体し、希少性を産出するシステムになっているのです。
つまり、資本主義は豊かな生活を実現するというよりは、希少性を生み出し手に入らないものを多くすることで成長をもたらすシステムというわけです。
3.資本主義からのパラダイムシフト
ここまで資本主義の問題点を見てきましたが、ではどのような世界が理想なのでしょうか?
結論からいうと、僕にはわかりません。ただ、今まで見てきたように資本主義には希少性を生み出し、さらにその過程で負荷を外部化するという問題点があり、これはシステム自体の欠陥であるといえます。従って、資本主義そのもののシステムを大きく転換しない限り、いつまでもこの状態からは抜け出せないように思われます。
確かに資本主義から大きく転換し脱成長を目指すと、新たなビジネスが生まれたり新たな技術が生まれたりする速度は遅くなると予想されます。
しかし、今これだけの技術が発展し、既に十分な便利さを手にいれたにもかかわらず貧困が消えず満たされない状況を見ると、どうも成長を目指さない方向での社会システムも選択肢として魅力的に思われます。この点は本書で詳しく説明されているので、是非読んでみてください。
4.最後に
さて、第1回はどうだったでしょうか。意外と本を読んでその内容を咀嚼してアウトプットするというのは骨が折れる作業ですね、、、笑
ここで2点ほど注意点があります。まずは、このnoteは本のエッセンスの部分を僕が別の表現でまとめたものなので、本の要約には一切なっていません。実際本書を読むと、あれ、なんか話の構成が違うな?となると思いますが、あくまで本紹介として捉えてください。
次に、制度をひっくり返すようなこのような考え方は一見説得力があります(そして実際理論的にも説得力のあるものなのだと思われます。)。しかし、論理的に説得力のある文章でも、別の角度からみると問題点が発生することもあります。
僕たち一般の読者は研究者ではないので、基本的にそういった批判的読解をする知識を欠いていることが多いです。なので、僕が紹介する本も「こういった考え方があるのか~」というくらいに読むのが良いかなぁと思います。
というわけで、次回は最近よく見かける「アート思考」について紹介していきたいと思います。是非次回の「読書のすすめ」も読んでみてください!
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