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ビハインドカーテン(14)

第二章(7)

「人間の仕業っていうなら、どうやって圭人を消したんだよ?」
翌日、あかねの掛け声で再び化学保管室に集まった時、開口一番正樹が言った。

埃と薬品の匂いが漂うこの狭い保管室も、二日連続でくるとだんだん慣れてくる。勝手にパイプ椅子を出して、俺と明希は並んで座る。

「部室に水飲み場は?」
その返事をせずに、明希が唐突に尋ね返した。

「あるけど、質問と何の関係があんだよ?」
「なるほど」
明希はほんの僅かな間上を向き、それから頷いた。

「目で見てないからなんとも言えないけれど、おそらく室内に水道の点検口があるんじゃないか? 戸仲先輩が目を離した隙に、部室へ立花の兄貴を引き摺り込んだ。そのまま点検口に詰め込んで、上からビニールタイルを被せれば、ぱっと見では誰にもわからない」

「でもさー、そんなに簡単に人一人を好きなようにできるかなあ。クロロフィルとかって、本当は効かないって聞いたよ」
長い足を組んだあかねが隣で言った。

明希は頷く。
「確かにそれは、一考の余地のある疑問だ。でも、寮側の窓から外に抜ければ、誰にも見られることはないし、落ち着いたら、兄貴を引きずり出しにくることも可能だ」
「寮に連れていくってこと?」
「そう」
「うーん」
あかねが口をへの字にして、腕を組んだ。
「そんな危険冒すかなあ。だって戸仲先輩に見られる可能性も、立花先輩が抵抗して失敗に終わる可能性もあるじゃん。穴だらけのプランだよ」

「まあ、確かに」
明希が素直に頷いたので、あかねの顔がパッと輝く。
「でしょ?」

「ただ」
明希が言う。
「犯人は相当に思い込みの強い人物だよ。だいたい顔が似てるっていう理由だけで、普通は人をさらったりするか? 犯人には何かしらの強い思い込みがあるんだ。そうなると、こちらの常識は通用しない。『できる』と思えばできるし、前回は失敗しなかった」

そう言ってから、「いや、違うな、失敗したんだ」と首を振る。
「立花の兄貴は、寮から逃げ出した。運悪く車に引かれなければ、今頃犯人は捕まっているだろうな」

そしてまっすぐ俺を見た。

「今回も同じ手を使って立花を誘き出そうとしている。『恐怖』と『不安』だ。動揺させて、徐々に寮へと近づかせている」

俺は唇をぎゅっと結んで、隣の明希を見た。

「犯人は『夏目恵』にそっくりな立花兄弟に執着している。『夏目恵』がかつて失踪した事件になんらかの形で関わってるんだ」
明希が言った。

「そこでですね!」
あかねがぴょんと飛び上がって、自分のバッグからタブレットを取り出した。
「『夏目家』で撮られたと思われる心霊動画、手に入れたんだあ」

あかねがそう言うと、正樹が「はええ」と驚いた。
「ほんと、すごい情報網と行動力だな」
「えへへ」
あかねは満更じゃない顔をして、タブレットをいじる。

「見る?」
「見る」
俺は頷いた。

「じゃあ、暗くして」
「また?」
正樹は文句を言いながら、それでも言う通りに遮光カーテンを弾いた。

薬品臭い空間に、体温が残る。

外界と遮断されるってことは、自分の中身を感じることだ。俺の血管を流れる血液の音、耳の中に響く臓器の振動、そして感情。俺は自身の感情は見えないけど、ここだと自分が何を思っているかわかる。

俺は、誘いに乗りたい。
寮の中へ、入りたい。

あかねが長机の上にタブレットを立てかけ、再生アイコンに触れた。

撮影者の顔は映らない。手持ちでビデオを回している。

石垣の向こう側に、昔ながらの日本家屋がある。トタン板の壁に瓦屋根、庭はあるが雑草が生えていて、長年手入れされていないのがわかった。

夕闇が迫りそうな時刻であることが、そのトタン板の壁が濁ったオレンジ色に変わっていることでわかった。その場にいないのに、木々の湿った空気に囲まれている錯覚に陥る。

撮影者がカチャンと音を立てて黒い門扉を開け、敷地内に入る。
『この物件を委託されている人から依頼がありました。ここは自殺者が出ている事故物件です』

撮影者の声は、意外にも年齢が高いように感じた。心霊動画を撮ってネットに上げるなんてことをしないような、落ち着いた声。

ガラスの引き戸の鍵を回して捻るけれど、スムーズには行かない。ガチャガチャと押したり引いたりして回しながら、やっと引き戸がカラカラと音を立てて開いた。

真っ暗だ。コンクリートの土間と高めの上がり框。右手には艶のある木の靴箱があり、その上にはファックス付きの電話、誰かのお土産らしき置物、子供が作ったであろう人形が置いてあった。明らかに工作で作ったのだろうその人形は、ティッシュの頭部に毛糸の長い髪をくっつけ、エプロンらしき紙を腰に巻いており、母親を象ったものだと思われた。

『入ります』
撮影者は手元のライトをつけ、廊下を照らした。左右にあるガラスの引き戸の奥は、ライトの光も届かない。奥には急な階段が見える。

撮影者はまるで不動産業者のように『この右手はキッチン』と説明しながら、臆することなくガラスの引き戸を開いていく。心霊動画にありがちな過剰な怖がり方はしていないのが、かえって不気味に感じた。

『キッチン』とはとても言えない、小さな台所があった。8畳ほどのスペースに冷蔵庫、食器棚、ダイニングテーブルが入っていて、人が通るには随分狭い。給湯器はおばあちゃんちで見たことがある、押して捻るタイプだ。

「全部残ってる」
隣で正樹がつぶやいた。

確かに、全部がそのまま残っていた。暮らしていたころのまま、埃を被って時を止めていて、その中を無遠慮なライトが、ぐるぐる回る。

『左手が居間ですね』
そう言って、廊下左手のガラス戸を引いた。

かららら。

乾いた音がして、ガラス戸が開かれる。こちらは畳の和室だが、障子を取り払って、二部屋を続きの居間として使っていたらしい。大きめの座卓と、奥に置かれた大きなテレビ。雨戸がぴったりと閉じられているから、真っ暗だ。

『ここはお母さんとお子さんの二人が住んでいた物件で、お子さんが行方不明になった後しばらくして、お母さんがこの居間で自殺したとのことです」

撮影者が鴨居をライトで照らす。
『ここに紐をかけたらしいですけど』

撮影者が歩み寄り、鴨居に指を滑らせる。おじさんの指を想像していたから、出てきた長い指に意表をつかれた。

『ああ、確かにここ。なんか削れてる』
鴨居の一部分を確かめるように撫でると、ふと、指が止まった。

正樹が隣で唾を飲み込む音がした。

『何?』
撮影者が振り向いて、開け放されたガラス戸の向こうを映すが、何も見えない。暗い暗い空間がそこにあるだけだ。
『ん?』
初めて撮影者が動揺しているような声を出した。

しとん。

気のせいかと思って、俺は耳を触った。

しとん。

正樹の声が『鳴ってる』と言った。落ち着いていた心臓が、どっどっどっとスピードを上げ始め、正樹の緊張に釣られて俺も身体が硬くなっていく。

『水もれ? これ、聞こえてます?』
撮影者は半ば駆け足で廊下に出て、先ほど入った台所へと入り、シンクを確かめる。からっからに乾いていて、きっともう何年もここにしずくなんか垂れてなかった。

それを確認すると、撮影者はまた小走りに廊下に出て、今度は廊下の奥向かう。階段の向こう側にトイレと洗面台がある。小窓が付いているから、他の場所よりも少し明るいが、それによって余計寂れて見えた。

『ここでもない』
水が垂れていないことを確認すると、撮影者はこんどはゆっくりと居間へと戻り、ライトを鴨居に向ける。そして一歩、一歩と畳に足を踏み入れ、鴨居を見上げた。

『ここから、水の音? 首吊りなのに?』
『……ぬれてる……』

今、なんか聞こえた。撮影者じゃない声だ。

撮影者は周囲を慌てたように照らす。その先に何かあっても、なくても怖い。

しとん、しとん、しとん、しとん。
水が垂れる音が、はっきり聞こえる。

『ここ……め、い……か、ん。き……しょ、いて』

撮影者が『うわっ』と声を上げて、カメラを取り落とし、その先に逃げる足先が見えたが、すぐに気を取り直してカメラを鷲掴みにして、そこでプツッと映像が途切れた。

正樹が慌てて電気をつけると、現実が戻ってきた。ここは狭くて薬品くさい、化学保管室だ。

「やばー」
あかねが両腕で身体を抱くように、自身をさすってる。

「見てたんじゃねーの?」
正樹が聞くと、あかねは首を勢いよく振った。
「何度見ても、寒気するじゃん。効くわー」

足を組んで背もたれに体を預けていた明希が体を起こし、「よくできてる」と言った。

「いや、本物っぽいじゃん」
正樹が目をまん丸くして言った。良くも悪くも、正樹はとても素直だ。すると明希が目を細め「単純」とため息混じりに言ったので、正樹が明らかにカチンときている。

「立花はなんか見えた?」
明希に尋ねられても、俺は首を振るしかなかった。

「俺、動画とか写真とかからは、何も見えないから」
そう言うと、明希は「そうか、そっちね」と頷いた。

「どっちよ?」
蚊帳の外のあかねが、不満そうに口を挟む。

「いや、立花が感じているのは、人間の表情からじゃないってこと」
「じゃあ何?」
俺が言うと、「汗とか、匂いとか、動画に映らないもの」と言った。

あかねは「なるほどお」と感心したような声を出した。あかねのすごいところは、いけすかない相手でもちゃんと『尊敬』できるところだろう。こちらも素直。

「長妻先輩的には、どう見た? これ」
明希が話をふると、あかねはぱああっと顔を輝かせて立ち上がった。

「そうそう、これね。これはやっぱり、本物の心霊動画だと思うわ。『匂い』と『音』っていうのは、一番人間が感じやすいの。私の見解を言うと、幽霊って周波数なのよ。同じ場所にいながら次元が違うから、姿が動画に残る可能性は低い。ただ、人間の周波数がぴたっと幽霊と一致する時、私たちも見ることができる」

「長妻先輩って、純粋だね」
明希が口角を少し上げて微笑みながら言うと、あかねは「あんがと」とニコッと返す。

「全然褒めてないよ」
正樹がボソッと言ったが、あかねには届いていない。
「もうちょっと研究するなら最後の言葉。あれ、なんて言ってた?」
あかねはそう言いながら、タブレットを操作してもう一度最後を再生してみる。

『ここ……め、い……か、ん。き……しょ、いて』

「ふむ」
あかねは口をきゅっと結ぶと、名探偵さながらに腕を組んだ。

「よく聞こえないけど、水音から考えるに、『つめたい』かも」
「それは同意」
正樹が頷いた。

「するとやっぱり、池でしょ? 『夏目恵』は池の向こう側に引っ張り込まれていて、異次元の水の中にいるのよ」
あかねが自信満々に言うと、明希が「でも実家で撮影されてるけど」と言う。

「そうね、母親が恋しくて、出てきた」
「じゃあ、異次元から出られるってこと?」
明希が尋ねる。

「そうね、思念は飛ばせるっていうか」
「『夏目恵』の遺体だけが、異次元の池の中?」
「そうそう」
あかねが勢いよく頷くと、明希は「ふっ」と堪えきれずに笑いが溢れた。そこでやっとあかねも明希がちっとも話を信じていないことに気づく。

「うわー、やっぱりこいつ私嫌い」
あかねは長い黒髪をかきあげて、「ふん」と声に出るほどはっきりと横を向いた。

「……で、お前はどうだと思ってんだ?」
正樹が明希に目を向けた。結局これを見たからって、何かがわかるわけじゃないと思うけど、どうなんだろう。もう寮に入って『夏目恵』を見つけるのが、一番手っ取り早いんじゃないだろうか。

「この動画は、作ろうと思えば人間が作れる。怖がらせる要素を入れてバズらせたかったのかもしれないし、他に意図があるのかもしれない」
明希が言うと、正樹が「でも今はこれ、ネット上から削除されてるんだぞ」と言ってみる。

「そうだ、なんらかの理由で削除した。でもわかることも、ある」
明希はそう言うと、あかねに向かって「ちょっと調べて」と言った。

「何?」
「この物件を扱っている不動産情報サイトを見て。住所はわかってるんだから」
「そうか」
正樹は頷いて、あかねの隣に立って一緒に不動産情報サイトを探す。

「あった、多分これ」
正樹がタブレットを明希に差し出すと、一瞥し、それから「やっぱり一社しかこの物件を扱ってないな。この不動産屋調べて」と指さした。

「ホームページ?」
「不動産クチコミサイトも」
「わかった」

あかねと正樹が調べるとすぐ、不動産会社のクチコミが見つかった。

「この会社は、地元密着型の小さな不動産会社みたい。クチコミはいいわよ」
「見せて」
明希が差し出した手に、あかねは素直にタブレットを載せる。

「代表者が親父で、社員が息子だな。いても事務員一人」
「なんでわかるのよ」
「この会社のホームページに、代表者『照井信之』として写真が出てる。年齢はおそらく六十代。クチコミサイトには、若い『照井さん』というスタッフが対応してくれた、と書いてある。苗字が一緒だし年齢的にも息子で妥当だと思うけど?」

「確かに」
正樹が感動したように頷いた。

「で?」
トゲのある声で、あかねが先を促した。

明希はさらっと「この息子が撮影者だ」と言った。
「なんでさ」
俺は思わず尋ねた。
「噂を聞きつけたYoutuberかもしれないじゃん」

明希はタブレットをあかねに返しながら、「ないな、それは」と言う。
「撮影者は鍵を持っていた。鍵を持っているのは、所有者か不動産会社。これから売りたい事故物件を『幽霊がでます』と宣伝したい所有者はいないから、撮影者は不動産会社」

「不動産会社だって、売れなきゃ困るじゃん」
あかねが「わかってないねえ」というように煽ってくるが、明希には何も響かない。

「そもそも、売れないんだよ、こんな事故物件。大手不動産会社は、利益にならないからそもそも事故物件を取り扱わない。でも地元密着型不動産会社は、断ることができないんだ。地元のクチコミがすべてだから。だから今更『幽霊が出る』なんて噂が立ったって、売れないから基本どうだっていいんだ、むしろ再生回数が上がればお金につながるかもしれない」

俺は心底感心した。この短時間で撮影者が誰かまでわかってしまうなんて。

「次はこの『夏目恵』の家を調べたい。失踪時繋がりがあり、なおかつ現在の学校関係者は誰かが知りたいから」
「先生たちに聞きゃいいじゃん」
あかねはそう言ったが、それは明らかに考えなしすぎる。明希は侮蔑ともとれる視線を送ってから、「それは無理」と言った。

「だから、実家にある卒業アルバム、写真なんかを見たい」
「卒業なんかしてないだろ?」
正樹が口を挟んだが、明希は首を振った。

「親の気持ちになれば、卒業できないとわかっていたとしても、在籍させ続けるはずだ」
そこで、明希は少し遠くを見るような目をした。

ほんの一瞬、瞬きほどではあったけど。
どんな表情だろう、あれ?
感情の色が見えないと、表情に注意が向く。

あかねが「じゃあ、侵入しちゃう?」と嬉しそうに言った。

「違うよ、馬鹿だな」
とうとう『馬鹿』というワードが出てきたが、あかね一人だけが膨れていて、誰も注意しない。

「不動産サイトから、内見希望のメールが出せる。それで予約しよう」
そう明希が言うと、間髪入れずに正樹が「いや、俺たちだけで行っても見せてもらえないんじゃねえか?」と問う。

「大丈夫」

そして明希の言う通り、無事に明後日の土曜日に、物件の見学をできることになった。

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