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ビハインドカーテン(19)

第二章(12)

この駅には、俺たちが入れるような飲食店は、何にもなかった。駅前には、古い定食屋とコンビニ、あとは地元密着型スーパーとドラッグストアあるだけで、あとはなんにもない。

「お腹すいたあ」
子供みたいに騒いで定食屋に入ろうとするあかねをなんとか諭して、俺たちは学校のある駅に戻ることにした。

電車内は空いていて、俺たちの声は少し響く。あかねはしきりにしゃべりたそうだったけれど、明希が「後で」と冷たく一言言うと、あかねは不服そうにしながら、腕を組んだ。

行きと違い、景色にどんどん建物が増えていく。俺たちが住む関東の地方都市は、木々と建物が混じり合ってる。山間にポツポツとあった建物に、どんどん背の高い建物が増えていく。古めのアパートから、新しいマンションが増える頃に、俺たちは電車を降りた。

ほっとした。

毎朝学校に行く時は、かなり緊張して憂鬱なのに、学校に近いと思ったらほっとする。俺は自分で思っているよりも、適応力があるのかもしれない。

「一択」
あかねが意気揚々と、駅前唯一のファストフード店に向かう。よほどお腹が減ってるのか、めちゃくちゃ早足だ。

昨日と一緒の、窓から離れた一番奥の席に座る。

俺は正直、ファストフード店が嫌いだ。なんならハンバーガーも嫌いだ。店内はいつもやたらと楽しげな音楽で、油臭いし、ケチャップとマスタードって、なんか乱暴な味付けだよ。いや、これはちょっとした言い訳で、ケチャップが嫌いなんだ、単純に。

俺はLサイズのポテトとコーラを頼んで、一番早く席に座った。

「ちっちゃいと、小食なんだね」
あかねがまたもや無遠慮な言葉を投げかけてくる。背の高さと、カロリー摂取に関係はないだろうに。俺は返事をするのをやめた。

四人席に四人座ると、ぎっちぎちだ。俺の右側に迫る壁が妙に油っぽいのもの気になる。そう考えてると、隣に座る正樹が、もう一つ左手の机を引きずってくっつけた。

「あんがと」
「ん」
正樹は瞬間的に笑顔になり、すぐに元の真剣な表情に戻った。そう、正樹は『夏目恵』の家を出てから、ずっと考えこむような顔をしている。正樹から流れ出る感情は混ざり合ってて、一言では言い表せない。
怒り、悲しみ、悔しさ、同情、そして安堵。

まだまだたくさんあるように見える。それが水彩絵具の筆を洗うバケツの水のように、ゆらりと、でも時に渦を巻いて激しく、正樹を取り囲んでいた。

「なんもおこんなかった」
あかねが勢いよくいちごシェイクをストローで吸いながら言った。
「変な声とか、なんならお母さんの影とか、期待してたのに。やっぱ、昼だったから?」

「長妻は本当、デリカシーがない……」
正樹が深いため息をついた。

「何言ってんの? これはロマンでしょ?」
「人が死んでんだぜ? あそこで」
「だからさ、出るかなーって」

二人は絶対に通じあわない。変な話、圭人のことがなければ、学校内で絶対に友達にならない二人だろうな。

「立花は何を感じた?」
明希が聞いた。

「……なんも。全体的に暗かったから、見落としてることもあると思うけど、部室にあるような感情は、見られなかった。むしろ」
「むしろ?」
「空っぽだった」

俺がそう言うと、明希の表情が少し変わる。じわんと輪郭が滲むというか、揺れるというか。

「俺のと一緒?」
「そう、一緒」
「そっか、だろうな」

明希は言った。

「ね、どゆこと?」
あかねがポテトをもぐもぐしながら聞いてくる。何本もいっぺんに口に放り込んで、頬がぱんぱんなんだけれど、下品な感じはしないのはその顔面のせいか。

「じゃあ、あの不動産屋の照井は?」
明希があかねを無視して、聞いてくる。

不動産屋には、照井って名前がついてたんだ。明希はなんでもよく覚えてる。

「あの人、同級生だった。あまりにも偶然がすぎないか?」
正樹が真剣な面持ちで言う。

「それで?」
明希は正樹を促したようだが、正樹はぐっと言葉に詰まった。

「別に、なんか、なんとなく、繋がってるって思って」
「『なんとなく』では、あの不動産屋を犯人とは言えない」
「わかってる、けど」
正樹は俯いた。

「人間は最初に頭に浮かんだ考えに固執する傾向がある。だからこそ『証拠』が必要なんだと思う。今はその材料を集めている時だから、一足飛びに結論へ向かうのはやめて、一度保留にしておいたほうがいい」
明希は言った。

「で、照井からどんな感情が見えた?」
「嘘はついていなかったと思う。毎日疲れて、満たされてなくて、でも虚栄を張ってる感じ。ただ、見た目とは裏腹に、優しかった」

俺が言うと、あかねが「そうそう、あのおじさん、悪くないよ」と声を上げた。もうほとんど食べ終わって、口が寂しそうだ。

「私が『若いね』って褒めなかったら、しょんぼりしちゃって、かわいいじゃん」
あかねが油っぽい唇で、にっこり笑う。

「で、どうなんだ、明希は。しきりになんか見てたけど」
正樹が痺れを切らしたように割り込んで聞いてきた。

「推測できることはある」
明希はしなしなのポテトを口に入れてから、そう言った。

「母親は自殺じゃないかもしれない」
「え!」
俺たちは一斉に声を上げた。少ない客たちが、こちらに視線を送ってくるぐらいには、大きな声で。

「自殺だろ? 子供がいなくなったから」
正樹は声を顰め、それでも信じられないというように、目をまんまるにして言った。

「もちろん、母親が絶望的だったことは想像できる。なんなら、半分死んでるも同然だった。立花がさっき言ってたろ」
「俺?」
「そう、空っぽって」

俺は明希の、嫌に冷めた顔を見つめた。
こいつも、『自分は半分死んでる』って、思ってるのか。

「よくわかんないんだけど、『空っぽ』って、そういうことなの?」
あかねが首を傾げているが、明希は特に説明をするつもりはない。話を続ける。

「でも引っかかる。『夏目恵』の失踪日であるカレンダーの五月五日には、マルがついていた。それから『二十時半』とも」
「ん? どゆこと?」
あかねはさらに首を傾げているが、俺は心臓が文字通り早鐘のように鳴りだした。冷や汗がじわりと背中に浮かんでくる。

「人が来る予定だったんだ」
俺は言った。「夜の八時半に」

「そうだと思う」
明希は頷いた。

「ちょっと待った! そんなの警察が調べてるよ」
正樹が前のめりになると、
「そう、もしかしたら」
明希は頷く。

「でも明らかに自殺だと見てとれる場合には、そこまでしっかりと現場検証をするわけじゃないと思う。それに」
明希は、またポテトをひとつ口に入れる。機械的に、うまいとも、まずいとも思っていないように。

「床の間のガラスケースの前後が入れ替わっていた」
「どういうこと?」
あかねが首を傾げる。

「ガラスケースの後ろ側を覗くと、下の方にヒビが入ってた。誰かがそのヒビを目立たなくするために、裏返したんだ」

「母親かもしれない」
俺が言うと、明希は「確かに」と再び頷く。

「でも俺が思うに、母親だったらケースを買い替えると思う。居間も台所も整頓され、きれいにしていた。とてもまめな人だったんだ。そんな人がヒビの入ったケースをそのままにするかな? しかも、飾ってあったのは『破魔弓』だ」

「『破魔弓』?」
「昔は男の子が生まれると、『邪気から守ってもらえるように』という願いを込めて、贈られた。きっと、夏目が生まれた時にもらったんだろう。それを床の間に飾り続けていた」

胸が痛んだ。最後ちらりと見えた気がした、あの感情を思う。ずっとあそこで、待ってるんだ、帰ってくるの。たぶん、夏目恵も家に帰ってこれないんだ。

「仮に、母親の首に紐をかけ、鴨居を通して床の間の方へぐいっと引っ張ったら、弾みでガラスケースにぶつかることもあるだろう。母親は必死に抵抗するから、相当の力がいる。手はビニール紐で擦り切れるだろうし、両足は滑るだろうな。鴨居とガラスケースの線上にあたる畳には、ちょっとした毛羽立ちがあった。ぱっと見はわからないけれど、触るとわかる」

そこで正樹は「そっか」と頭を抱えた。俯いて、バーガーもポテトも手をつけていない、ファストフード店のお気楽なトレーをみつめる。

それから顔を上げた。

「人間が犯人ってことなんだよな」
そう言った。

「俺は最初からそう考えてるけど?」
明希は冷たく言い放つ。

「くそっ。俺はまんまと騙されて、いいようにされてたってことなんだよな? 圭人を殺したやつがいるってことなんだ。人間が殺したってことなんだ」
正樹は泣きそうだった。怒りと悲しみが滝のように流れ出ている。

「夏目もその親も被害者だ。あの写真の夏目を見たか? 俺たちと変わんない、普通のやつだった。すげー笑ってて、自分がいずれ死ぬなんてこと、露ほども思ってなかった」

「犯人はなんでこんなひどいことができるんだ? 動機は?」
正樹が半ば叫ぶように問いかけると、明希は「なんとなくは想像できるけど、まだまとまってない」と答える。「調べるべきはやはり、夏目がどうやって寮から消えたのか、今どこに」

「寮にいるんだってば!」
あかねが、明希の言葉を遮って話す。
「ちゃんと聞いてる? 私の話」
「寮内が異世界って話?」
「そうそう」
あかねが頷く。

「なんか、人間が犯人ってことで確定しようとしてるけど、立花兄をさらったのは『夏目恵』だってば。あの埋め立てられた池の呪いに影響されてる『夏目恵』。お母さんを殺しちゃったのは、人間かもしんないけどさ」
あかねは長い黒髪を指で耳にかけ、その手で頬杖をつく。

「体が欲しいの、この世に戻ってくるための肉体が。それはもう、以前の『夏目恵』とは異なるあの池の何かの欲望。でも立花兄には逃げられた、だからこっちの弟を狙ってる」

「寮が異世界うんぬんはおいといて、その線は悪くない」
明希がうっすらと笑みを浮かべた。

「犯人は人間じゃないよ。じゃなかったら、あの祠の意味も、立花弟が見る赤茶っぽい何かも、よくわかんないじゃん。昨日感じなかった? あそこには何かあるって」
「長妻先輩は、なんか感じたの?」
「いや、何も。でも雰囲気あったよね?」

この論争は、どうにもあかねが不利のようだ。明希を説得するのは難しいけれど、でもあかねは案外、何かを感じとているのかもしれない。確かに寮の敷地に入ったとたんの、あの感じ。雰囲気があった。

「原田は?」
正樹が口を挟んだ。「夏目恵と同じクラスだった。それなのに、俺たちには何も言わなかった。怪しいんじゃないか?」

「そもそも、言うかな? 原則として、立花の兄貴が攫われたことと、夏目恵の失踪は無関係だとされている」
明希は背中をビニールのソファに預け、両手をポケットに入れる。

「どうしてさ?」
「夏目恵は失踪して十数年。立花の兄貴は家出のち事故死。公式には関係がない。顔が似ているうんぬんは、噂程度のことだ」
「似てるのは本当だろ?」
「だからと言って、先生という立場の人間が、不安を煽るようなことを、遺族に言うか?」

そう言われて、正樹は黙った。

「でも、原田が……」
「俺が、何?」
突然頭上から声が降ってきて、俺はビクッとした。文字通り大きく震えたのだ。心拍があがり、汗が滲む。

話に夢中になりすぎて、全然気がつかなかった。

「オカルト同好会の集まり?」
にこやかな原田の顔がそこにあった。

聞かれた? どこまで?

店内の軽快な音楽が流れる中、俺はごくんと唾を飲み、原田に意識を集中する。

好奇心。あと、喜び? 少なくとも、怒ってはいないし、罪悪感のようなものも見られない。

「先生こそ、休日出勤ですか?」
明希が優等生の顔をして、原田を見上げる。

「そうだよ、新学期はいろいろあってな」
原田は優しげに笑うと、ベージュのサマーニットの下の、たっぷりとしたお腹を少し揺らした。

「お昼ご飯を買いに来たんだよ。ここまで来たなら、学校でやればいいのに。板塚先生もよく土曜日に学校にいるから、今度申請してみたら?」
「そうですね、確かに。ちなみに今、先生の話、してたんですよ」
突然、明希が言った。

俺たち全員が凍りつく。正樹なんか、絶望的とも言える顔だ。でもあかねはすぐに面白がりだした。

「そうそう、原田先生の話」
「えー、なんかやだな。悪口か?」
原田が笑う。

「先生、今お時間ありますか?」
原田は面食らった顔をしたが、すぐに嬉しそうに「ここで飯食っていいならな」と頷く。

「もちろん、いいよ!」
あかねが隣の椅子を引っ張ってきて、「ここどうぞ」と指さした。

「じゃ、ちょっと待ってて、買ってくるから」
原田はそう言うと、レジへと向かう。原田は純粋に生徒に誘われたことに喜んでいた。

原田の体格の割に、少食なラインナップをトレーに乗せて、原田が戻ってくると、あかねが用意したスツールに、そっと腰をおろした。

「ふうーう、疲れた」
原田が銀色の細縁メガネを指でくいっと上げて、紙ナプキンで汗を拭う。

「坂がなあ、長くって。食べたらまた坂を上がらなくちゃならないって思うと、げんなりだよ」
「駅前にしか、店ないもんね」
あかねは肘をついて、長い素足を組む。およそ先生を前にした態度とは思えない。

「で、なんの話してたんだ?」
「『夏目恵』の話です」
明希が笑顔のまま、さらりと言った。

ポテトに伸ばしかけていた手が止まり、それから「まあ、そうだよな」と頷いて、水滴で濡れる紙コップを掴んで蓋を取り、ストローなしでごくりと飲んだ。

「お前たちがごにょごにょ話してるのは、そんなことだろうとは思ったよ」
「先生、同クラだったでしょ?」
あかねが尋ねると、原田は「いや?」と首を振った。

「違うの?」
「いや、違うっていうか。夏目が消えたのは、俺たちが一年生の時だ。おそらく親の意向で退学扱いにしなかったから、三年では一緒のクラスに在籍してたけど、話したことはないよ」
「なんだー」
あかねがあからさまにがっかりとして、背もたれに勢いよくもたれる。

「でも夏目の顔はすごくよく覚えてる。だから、立花の兄貴が入学してきたときは、血縁かと思ったよ」
そう言って、原田が黙る。その全身から、深い同情が流れた。

「夏目が消えた日のこと、覚えてますか?」
「覚えてるよ。ただただ、騒がしくって、授業もしばらくなかった気がする。ゴールデンウィーク明けの話だったんじゃなかったかな?」
「祠のせいって言われてたんじゃない?」
あかねがぐいっと身を乗り出すと、気圧されるように原田がのけぞる。

「あそこは、人身御供の場所だったから、今だに人を欲しがってるんだなんて、そんな噂は流れたな。でもただの噂だ」
原田はそう言いながら、そっとハンバーガーを一口食べる。それから「人が埋まってるところが呪われてるなら、この地球上の至る所は呪われてるってことだろ? んな、ばかな」と弱々しく笑った。

あかねはニコッと笑って、原田の目を見つめる。
「当時の新聞記事によると、ゴールデンウィークでほとんどの生徒が寮から自宅へ帰宅していたけれど、夏目は親の都合で寮に留まっていた。翌日から学校が始まるので、生徒たちが寮へ帰ってくるだろうその日の朝、朝食に降りてこない夏目を起こしに部屋へ行くと、誰もいなかった。部屋に争った形跡はなく、貴重品などもすべて残されたままだった。警察は行方不明として届出され、家出として処理された」
一気に言い終えると、あかねは「で、実際はどうなんだろう?」と迫るように原田へ身を乗り出す。
「死んでるって思うでしょ? せんせ」

「いや、未成年の行方不明者のうち、大半は家出っていうからな」
ポテトを食べながら、原田が言う。
「俺は別に知り合いじゃなかったけどさ、どっかで楽しく生きててくれたらいいな、とは今でも思うんだよ」

「家出の要素はあったんですか?」
明希がさりげなく聞く。

「いやあ、わからん。本当に俺、顔を知ってるぐらいだったんだよ。でもいつも楽しそうにしてたな、クラスの中心って感じのやつだった。でも言い換えれば、嫉妬の対象でもあっただろうし、本人の心のうちは本人しかわからんってところはあるだろうな」

「ねえせんせ、今の学校の中に、夏目と仲良くしてたって人いる?」
そうあかねに尋ねられて、原田は紙ナプキンで指を拭きながら、可愛らしく頭をかしげる。
「だから、わからんって。この学校が出身だっていう先生は、何人かいるけどな」

「誰っすか?」
今まで一言も喋らなかった正樹が、鋭い声をだした。

一瞬きょとんととした原田だったが、すぐに深い理解を示して、頷く。
「俺と、数学の吉崎先生、美術の三島先生。でも吉崎先生は俺よりもずっと上だし、三島先生はずっと下だ。俺だけだな、同年代は。話を聞こうって言っても、なんも出てこないと思うぞ」

「用務員のおじさんは、変わらないですよね」
正樹にそう言われて、原田は「確かに」と深く頷く。

「そうそう、用務員の野呂さんは、変わらないね、ずっと」
「なんででしょう?」
明希が尋ねると、「それこそわからん」と原田は無邪気に笑った。それからすぐに真面目な顔になり、俺たちを見回した。

「夏目の件を調べたいのはわかる。立花が不安に思っていることもわかる。でもな、意味はほとんどないんだ。この世の中は、説明のつかない不思議な偶然の上に成り立っているもんだから」

俺は原田の言葉の意味を考えてみた。意味のない偶然の積み重なり。それは原田の立場からしたら本当かもしれないけれど、俺に見えている世界では、偶然も必然のように見える。みんな無自覚に、影響を及ぼされている。

「さてと、働いてくるか。誘ってくれてありがとうな」
いつの間にか食べ終わった原田は、トレーを片手に立ち上がると、にこりと笑った。

「またね、せんせ」
あかねが赤ちゃんのように手を振ると、原田も軽く手を上げ、店を出て行った。

かいた汗が冷えるように、四人で一瞬黙った。
俺は目を上げて明希を見た、その様子から「わざとだろ」と口から声が出ていた。

「気づいてたんだろ、原田がこっちくるの」
そう言うと、明希はその薄い色の唇に笑みを浮かべた。
「そうだね」

「うわ、もう、めちゃくちゃびびった」
正樹ががっくりと首を垂れ、両の手のひらで頭を抱える。

「知らんぷりするには、メンツが揃いすぎてるから」
ははっと軽く笑って、明希は背もたれに体を預けたまま、水滴だらけのカップに、その細い指を伸ばした。

「あんなに聞いちゃって、大丈夫なのか?」
正樹が不安げに尋ねると、明希は「大丈夫」と頷いた。

「原田は本当に何も知らないってこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どっちなんだよ」
正樹が突っかかると、明希はストローを口から離し、トレーに戻す。
「さあ?」

「なんだ、核心は喋らない気か? 散々偉そうに探偵ぶってたたくせに」
正樹の煽りも、明希には通じない。明希には何か思い当たることがあるのかもしれないが、それをここで言うつもりはないらしい。

正樹はぐっと何かを飲み込んで、
「いい、別に。俺は二度と同じ轍は踏まない。敬人を守って、復讐を果たす。それだけだ」
そう、言い切った。

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