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ビハインドカーテン(22)

第二章(14)

「てめえ、このやろう」
正樹は椅子から飛び出して、明希の襟元を両手で掴んだ。パイプ椅子が大袈裟な音を立てて転がり、化学薬品混じりの埃が舞い上がる。明希にのしかかった拳に、血管が浮き出ている。

「敬人の心を抉るようなことしやがって」
拳がブルブルと震える。

「知らねーくせに。お前は圭人がどんなやつだったか、知らねーくせにっ」
俺の激情とは対照的に、明希の表情はピクリとも動かなかった。

「何がしたいんだ、お前っ」

バアーンッ。

空気が破裂するような大きな音だった。手が一瞬のうちに緩んで、顔色がさあっと引いた。

「廊下っ」
あかねが化学保管室から走りでて、それに続いて俺も飛び出した。乱暴に引き戸を開け廊下に出ると、普段と変わりない空気がそこにあったが、廊下に落ちている敬人の片方の上履きが目に入ると、膝がガクガクと震え始めた。

同じだ。
あの時と。

あかねが上履きを拾い「え、なんで?」と周りを見回した。でも俺には分かっていた。

連れて行かれたんだ。
人間が? 池が? 夏目が?
わかんない、そんなことどうでもいい。
ちくしょう、敬人がいなくなったんだ。

ふと視界に、引き戸に肩をもたれ、腕を組んでいる明希が入った。

「電話してみる」
あかねが言ったが、すぐに「出ない」と首を振る。

「これだよ」
明希が言った。

「え? 何?」
さすがのあかねも眉間に皺を寄せ、明希を非難するような顔をする。

「何がしたかったかって、これがしたかったんだ。立花が攫われるために、この校内で、一人きりになる時間をつくること」
「は?」
初めて、俺は明希の正気を疑った。

明希の唇がゆっくりと笑みの形を作る。

「長妻先輩は、自分の信じる異世界を見たい。戸仲先輩は友人を奪った奴に復讐をしたい。そのために立花を利用したかったんだろ?」
「……てめえ、ふざけてんのか?」
ジリッと一歩明希に近づくが、明希はその場からピクリとも動かなかった。

「立花が入学した時点で、攫われることは予定調和だ。遠くから眺めていても、二人の願望は叶えられないからね。寮に入る理由を欲しがってた」

そう言われて、力が少し抜ける。圭人の葬式の日のことを思い出した。

「後ろめたい? 大丈夫、立花も入学した時点でそのつもりだったから」
「……そんなわけ」
首を振ろうとすると、明希が「そう言ってたよ、本人が」と笑う。

「犯人が学校関係者なのは確実。立花がスマホを没収されたのを覚えているか? わざわざ授業中を狙って、反応せざるを得ない画像を送りつける。当然スマホを没収され、職員室の保管庫に入れられる。案の定、そこには複数のスマホが一緒に入れられていた」
「どういうことだ?」
俺は全く意味が分からず、イライラが募っていく。汗がダラダラとこめかみを流れていた。

「犯人のスマホと一緒に保管されたということ。そこでBlueTooth経由でスパイアプリを入れることができたら、現在地も、行動も、会話も犯人に筒抜けだ。これまで犯人はずっと長妻先輩のタブレットを通じて、情報を得ていたんだろうと思う。ネットにタダ乗りしようとしてたから、入り込むのは簡単だ。それを切られたから、情報は立花のスマホ経由でもらうことにした」

「……まさかもうお前、誰がやったか知ってんのか?」
明希は「だいたいは」と言う。

「ただ、それを確信に変えるには、寮に入る必要がある」
明希はそう言った後、窓の外にちらりと目をやる。

「陽が暮れてきた。今ならまだ、立花は生きてると思うけど?」
「行こう」
俺は言った。

「今度はちゃんと助ける」
俺は廊下をまっすぐ歩き出した。迷いなく、力強い足取りで、ビニールタイルを踏んでいく音が廊下に響く。

明希も続いて歩き出そうとした時、あかねがスッと前に立った。大きくガラス玉のような瞳が、明希を見上げる。

「で、あなたの目的は何?」
「犯人を見つけることだよ」
すると、あかねは静かに首を振った。

「違うよね? 嘘をつくの、下手」
「嘘じゃないです」
「ううん」
あかねの瞳の色が、強くなった。

「あなたの盛大な自殺に付き合うつもりはないの。これが終わったら、ひとりで死に場所を探しなさいね」

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