見出し画像

新年雑記~他者や世間は自分が思うより実はずっと優しい

今年も『不登校についてみんなで話す会』よろしくお願いします。新年初回は1月10日(火)10:00~地域の居場所さっちゃんち和室にて。

ご案内ページを作りましたので、詳細はそちらからご覧ください。

新しい年になってから約一週間。世間では3が日まで休んでから日常に戻る…という人が多いかと思います。私は明日(9日)から通常運転の日々です。本当は5日から諸々仕事や活動の予定が入っていたのですが、訳あって遅れてしまいました。というのは年明け早々怪我をしてしまい思いのほか重傷で、元気だけれども痛みが強く、いつも通りの動きができなくなってしまったのです。各方面には迷惑をかけてしまいましたが、ご理解いただけたので安心して休むことができました。申し訳ない思いと、感謝の気持ちと。すみません、本当にありがとうございます。

自分のやらかしや失敗によって不測の事態に陥りどうしても誰かに負担をかけてしまうことが起きたとき、もう許されないような気がしてしまう。絶対責められるに違いないと考える。見放されると思い込む。以前の私はそんな感じでした。たとえ相手から大丈夫だよ~気にしなくていいよ~と声をかけてもらったとしても、その言葉を疑ってしまい、こんな事態を引き起こした自分をひたすら責めるような心の持ち主でした。

そういう癖が固着してしまったのには様々要因があり、ここでは詳しく述べませんが、とても苦しい考え方だったなあと思います。

そんな自分自身を振り返っての今の考えですが、人は、許してもらえたり責められない場所や人の中でないと、安心して生きることはできません。ひっくり返すと、何か起きたときに許してもらえなかったり、厳しく責められ続けるような環境下では、常に緊張した状態で過ごすことになります。

ひとつでいいから、安心して自分を解放できる場所を持っていたいものです。私個人としては家庭がいちばんそうであると良いと思っているけど、難しいときは友達や第三者、何なら自分と全然関係ない場所でもいい。そこを心の支えにすることができれば、社会の荒波にもしなやかに対応できるようになっていくと思う(徐々に、徐々にね)。

不登校の子どもたちが、フリースクールや第三の居場所、また家庭の空気が変化した中で元気を取り戻して社会に戻っていくようになるのは、きっとそういう場所や人につながることができたからなのだと思います。

社会全体がそういう場になり得るなら、それがいちばんいいんだけどね。

自分にとって優しい場所や人を、ちょっとずつ探して見つけてつながっていきましょう。そしてそういう存在は、案外たくさんあるものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?