結局のところ信頼されてないんだな

私の家族が病気、、とか
何かしら「起こる」と私の両親はあわてふためいていた

「心配」が増大する
「不安」が増大する
そして
「祈り」を飛ばしてくる

実は今、まさにそれ

私の家族が結構大変な病気になってしまい入院中

高齢の母にそれを少しだけ話してしまった。
大丈夫なんだけどね。ってかなりオブラートに包みながら

そしたらもう「不安」が暴走。

大丈夫だよって言って電話を切ったのに
その日何度も電話がかかってきた

私は病院にいたので出なかった。

そしたら勝手に不安が増大しつづけたみたいで私が心配で倒れたのかも?という妄想に発展し、私の夫に電話し、夫も「大丈夫ですよ」って言ったのに、それでも納得できず、全く関係ないし、今回の件を知るよしもない私の兄弟にも電話したらしい。

もちろん、年寄りだからね。
こういうこともあるよね。

でも、うちの両親って昔からそういうところあった。

何か起こるとうろたえる
不安がどんどん大きくなる

祈る、、、
祈る、、、
祈る、、、

口では「祈りとして叶わざるなしの信心」と言いながらうろたえ方を見るとそうとは思えない感じw

とても「縁にふんどうされない」と言われる「仏の境地」とは程遠かった。

やれ大変だ〜〜〜って感じ


それってさ、結局のところ心配される側って「信用されてない」って思うのですよ。

この人はまだまだ解決できる力はないから無理
私の祈りが必要
でも心配
口を出す
祈る
飛ばす

信頼して見守る

は微塵もなし

だから「大丈夫だよ」って言われても安心しない

彼らにとっての正解は

「大変だ〜〜。こわいよ〜〜こわいよ〜〜。でも祈ればきっと大丈夫ですよね。お願いします、一緒に祈ってください」
なのだ。


実は、、、、
私って結構動じない

子供が小さい時に緊急手術になったりした時にもドクターが
「お母さん、動じませんね。すごいですね」って言われたくらい。

なんだろう。
大丈夫って思ってるんだよ。

もし大丈夫じゃないならその時考えようっても思ってる。

人ってまだ起こってないことで不安になるもんだけど、その不安は人と比べて小さい方なんだと思う

そして、なんだか「死」さえもあんまり怖いと思っていない

生死に執着がないのかも。

学会2世、、もしかして親越えしちゃったのか?笑

いやいや、これ性格だわ。。

やっぱり信仰にドはまりする人って、
強いトラウマがあったり、不安になりやすかったり
自信がなかったりすること多いんだろうなって思う。

私、真逆だわ。

私なんて特別な存在でもなんでもなくて、ただの米粒だし、それ以上でも以下でもない

変に無敵感ももってないし、無力感ってわけでもない

そんな人が創価学会員として生き続けるの、元々無理だったのかもね。

困ってないんだもの

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