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隅田川に、春が舞う。

そうして、三十七歳の冬に、芭蕉は俳諧宗匠を止め、繁華街の日本橋小田原町の住居を引き払い、隅田川の川向うの深川に隠栖して、俳諧隠者となります。(中略)
世間通俗の俳諧宗匠の生活を続けようとすれば、一応小市民的幸福はつかめるわけです。それをわざわざ宗匠生活を捨てて、きびしい人生行路を選ぼうと決意したわけです。
──井本農一『芭蕉入門』


これまでパワプロをしたりポケモンをしたり、世間に全く見向きもされないのに極狭い世界で持て囃されている海外文学を読んだり、Twitterのタイムラインを見たりしていた仕事終わりの時間を、ほとんどすべて小説の執筆に費やしている。
奇を衒った体裁や独りよがりな前衛的な表現をすべて消して、基本に忠実に、誰もが「小説」と呼べるような、それでいてできうる限り高いレベルに達せられるように、リアリズムの作品を書いている。
書いているというよりは、書き直しているといった方が正しい。心がけていることは読者を徹底的に意識することと、あらゆる点で甘えない、妥協しないこと。
大学時代は3回4回の推敲で筆を留めていたが、今回は10回でも20回でも、これでもかというくらい直し、足し、消し、また直すつもりだ。
分量は160〜200枚あたりに収めたい。
同居人の感想は私の表現の甘さを的確に指摘してくれるので、とても参考になるし、YouTubeのつかっちゃんのチャンネルも参考になっている。

引っ越した時祖父の古いノートパソコンを頂戴したが、半年ほどで壊れて以降パソコンを持っていなかった。それを冬のボーナスを使って買い替えたのだった。
しばらく創作から遠ざかっていたものだから、買うまでにはよほどの躊躇があったが、数週間後に創作意欲が湧いてきて、一月末から今まで、ほとんど毎日集中して継続している。

学生時代は学校のパソコンで印刷していたが、今はそうはいかない。印刷機・コピー機を持っていないのでコンビニにUSBを持っていく。
最寄りのローソンに深夜歩いていくと、寝静まった静かな雰囲気のなか、貸切のコピー機で印刷できる。
真夜中の散歩は心地よい。道の途中で、月の光にほのかに照らされた鈴懸の木を長い時間眺めたりなんかしている。

そんなわけでしばらく昼間に外に出ていなかった。書いているものは芭蕉の『おくのほそ道』を読むことがモチーフの一つで、それで隅田川を観に行った。
こちらはアサヒビール本社がある墨田区だが、多和田葉子の「隅田川の皺男」という短篇や、こちらは謡曲をモチーフにした絶筆であるが、川端康成の「隅田川」という短篇なども、私の脳裏には浮かんでいた。
隅田川と浅草の雰囲気は、鴨川と京都河原町に非常に似ているようだが、隅田川は船が通れるくらいに深く、広い。でっかい東京は、自然も雄大である。
途中書店に立ち寄り、『現代俳句に生きる芭蕉』という本を購入した。単行本でも衝動買いできるほどには貯金がある。日々の頑張りの賜物だ。
つまらない本を高いからといって怒っていた2018年が懐かしい。2018年の思い出といえば、どっぷり浸かっていたらあの頃のツイッターライフだってもちろん忘れてはいない。
あの頃交流した人々が、2021年も日本の各地で生活していることに、じーんときたりする瞬間だってある。

都営地下鉄新宿線の駅で降りて、歩き、テラスに座って、隅田川をじっと眺めていた。川沿いには芭蕉の句が石に掘られ設置されていた。
船が通っていった。
遠くにはかねふく明太子の看板がみえた。川にかかる数々の橋を自動車やトラックがひっきりなしに行き交った。それらすべてを人間が操作していて、それぞれにそれぞれの人生があることに驚かされる。
私の座っている足元では小さな蟻たちが食べ物を運んでいた。川辺の草が風になびいた。
ジョギングしているスポーツウェアのおじさん、おばさん。スーツ姿のサラリーマン。
そして川が横たわっている。川はずっと横たわっている。人間が生まれる前からずっと。人間がこの街に住み着き、やがて城をつくり、車をつくり、城が壊れ、国民の象徴の住処になった今も。人間が傷つき、また立ち上がり、また傷つき、やがて滅び、静かさがこの大地を支配したって、雨は降り、水かさは増し、やはり川はずっと横たわっている。
鳥が飛んでいる。私は鳥だとしか認識しなかった。乗代雄介『旅する練習』の二人なら、ちゃんと名前を知っているはずだ。

というのもこの帰りにブックオフに立ち寄り、あれこれ5冊買った中に乗代のこの芥川賞候補作も含まれていたのだ。
感想は読書メーターの方に書いたが、この人が文芸誌に書き続ける現実があるならば、私はまだまだ純文学から離れられないし、夢を追いたくもなると思わされる。作品の細部においては、首を捻りたい箇所もないことはないが、そんなことは些細なことだ。

ここのところずっとASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴いていて(あと三沢光晴のプロレスと1993年のF1を観てる)、川を歩きながらイアホンから流れたのが『海岸通り』だった。

行こうとした江東区の芭蕉記念館は緊急事態宣言のため臨時休館だったが、それでへこたれる私ではない。
入った公園にはこういう看板があって、学生時代なら恥ずかしがって読まなかったものも、今では立ち止まって目を通し、いちいち感動している。区の職員か誰か、これを制作し設置した人間がいて、その気持の質量までは分からないにしろ、どこかの読者に届けという思いがこもっているはずだ。


春の風はあらゆることをポジティブに、人びとの持っている暖かみを前面に押し出すように、私に向かって吹いている。

春風やマスクの下の隅田川

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