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川端康成と梶井基次郎 伊豆湯ヶ島での邂逅

一九二六年──それは元号が大正から昭和に変わった年の大晦日、梶井基次郎が単身伊豆湯ヶ島を訪れる。梶井はこの時25歳。東京帝大を中退し、持病の養生のためにやってきた。
年が明けた元旦、彼は湯ヶ島を拠点にしている川端康成に会う。川端はこの時27歳。東京帝大在学中に同人活動に取り組み、菊池寛を訪ねてその才能が認められてから数年が経つ。「新感覚派」と呼ばれた当時最も若い作家たちの旗手と目され、前年には秀子と結婚している。梶井は若い世代の作家の中で、唯一川端だけを尊敬していた。
川端は梶井に宿を紹介し、梶井はその湯川屋に川端が帰京したあとも長く暮らすことになる。

ここで梶井が、本にしようとしていた川端の「伊豆の踊り子」の原稿を校正したことが、有名な逸話として残っている。

湯ヶ島での川端は、多くの作家仲間や、伊豆を訪れた知人たちと交流をしたが、囲碁を打つなりビリヤードを行うなどが主で、文学の話はほとんどしなかったと言われている。
私はどうも梶井基次郎に関しては例外ではなかったろうかと夢想する。
川端はのちに、

その頃の私に、彼の作品が果してほんとうに分かっていたであろうか。顧みて胸が痛む。──川端康成「梶井基次郎」

と書く。
梶井は当時同人雑誌「青空」同人である。代表作「檸檬」もすでに書かれていた。この雑誌を湯ヶ島に持ってきて、読んでもらおうとしたのであった。
淀野隆三による梶井基次郎の読書遍歴を見ていくと、漱石にはじまる明治大正の日本文学、また当時の文学青年がまあ通るであろう芥川の短編に頻出のヨーロッパの作家群(ドストエフスキー、チェーホフ、モーパッサン、ゾラ、フランス、ジッド、トルストイ、ストリントベリ、イプセン、ボードレールあたり)を読んでいるが、日本の古典のことは書いていない。
私の夢想は、川端の「東海道」を読んでいる現在が大きく影響している。この作品は太平洋戦争中に書かれ(つまり湯ヶ島より二十年弱後になるわけだが)、それは在原業平の時代からの「旅」をモチーフにした日本の文学の系譜についてのものであるのだ。
川端の筆致は一つの方向に定まっているとはいえないが、自らが想いをよせる宗祇、芭蕉、それに加舎白雄などへ言及しつつ、それらの記述が古人が歩いた東海道に結びついていく。
そこに浮かんでくるのは「かなしみ」である、と断言していいのかは怪しい。しかし、一人の作家の文章ではなく、かつて存在し今も存在するものとして残された歌、その言葉をよりどころにして生きて旅した数えきれないほどの先人たちの歴史。時代時代に降りかかる生きづらさは、川端の心を襲う「かなしみ」に繋がってゆく。それらを踏まえて、今我々が生きているという事実、その長い伝統に想いを馳せていく川端に私は惹かれた。川端が古人に想いを馳せるように、私も同じ方向を眺めていたい。ところがその古人の伝統に繋がるようにして、川端が残した文章というのもまた高峰としてそびえている。

こんなのあったんだ、と驚いた“岩波文庫版”『山の音』の、中村光夫の解説の見事さが忘れられない。立ち読みしただけなのだが、いつか手に入れようと思う。
川端は「老人」を虚構のなかに美化して描いたと中村は書いていた。それでこそ文学の芸術としての作用だというのである。現実の老人が、『山の音』の信吾のようであるはずがない。『山の音』執筆時の川端の年齢が、信吾より若いのが、その意見を補強している。

私は梶井の「檸檬」「冬の日」「闇の絵巻」などを再読して、その言語感覚のするどさ、詩的結晶の大きさに感動した。ものすごくでっかいダイヤモンドみたいなのだ。
だから相当量の読書、それも古典を読んでいるのではないかと思ったのだ。さらにはそういう話も川端としていたのでは。
「冬の日」というのがまず、蕉門(つまり芭蕉たち)の有名な連句集の代であるし……。

彼は殆ど毎日のように私の宿へ遊びに来た。夜半までいることも多かった。──川端康成「梶井基次郎」

と川端は書いている。また、「闇の絵巻」は、川端の宿から梶井の宿への夜の帰り路を描いたものだという。

私は好んで闇のなかへ出かけた。渓ぎわの大きな椎の木の下に立って遠い街道の孤独な電燈を眺めた。深い闇のなかから遠い小さな光を眺めるほど感傷的なものはないだろう。──梶井基次郎「闇の絵巻」

川端が湯ヶ島を去るのは、東京での横光利一の結婚式のためであるという。
川端は生涯に渡って華やかな社会的活動を行なった。年配の作家、年少の作家問わず、多くの人間と交流し、また国内外を問わず旅行を行った。その反面、深夜、独りで原稿に向かい、時代によって様変わりする多くの重要な作品を描き続けた。

川端は宗祇の時代、室町の戦乱のなかにあって芸術が華開いた足利義尚の時代を小説に書きたいと言いついに叶わなかったわけだが、私はもう数年来、川端と梶井の伊豆での交流、その時彼らの胸にひしめいていた文学への熱い思い、文学に熱い思いを持つなどということが可能であった時代の熱い思いと、当時からしてもそれがアウトサイダーであったこと、そしてそれがまた漂泊=旅人の伝統を受け継いでもいることを、なんとか小説の形にしてみたい、と夢想しているのである。
今はウジウジだらだらしているけれど、それには本腰を入れた文献の読み込みが必要だということは承知している。それにもちろん覚悟も。

引用・参考文献

『川端康成随筆集』 岩波文庫
『山の音』 川端康成 岩波文庫
『天授の子』 川端康成 新潮文庫
『檸檬』 梶井基次郎 新潮文庫
『川端康成伝 双面の人』 小谷野敦 中央公論新社

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