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保育士たちの「暴行事件」から、見なければならないこと #3


あっという間に5月も終わり。
本年度に入り、暴行・虐待、さらには事故の報道が相次いでおり、ますます保育士の仕事のやり辛さが浮き彫りになっているように感じています。

さてさて。
3回目の今回は、子どもの発達の変化について、言葉を重ねていきます。

子どもの発達というと、子ども自身の能力に焦点を当てがちですが、今回は「環境の側面」から発達の変化を見ていきます

そもそも。発達とは
発達とは、心理学や教育学の言葉として「時間の経過とともに、身体的・精神的に機能が変化していく過程」とされています。成長と学習によって、展開されるものでもあります。

保育の中では「子ども」に対して使われることが多い言葉ですが、大人も「発達」しています。「老化」「退化」も「成熟」という意味で捉えると、印象が変わってきます。

保育所保育指針には、以下のような記述があります。

子どもは、それまでの体験を基にして、環境に働きかけ、様々な環境との相互作用により発達していく。
保育所保育指針においては、子ども の発達を、環境との相互作用を通して資質・能力が育まれていく過程として捉えている。すなわち、ある時点で何かが「できる、大丈夫できない」と いったことで発達を見ようとする画一的な捉え方ではなく、それぞれの 子どもの育ちゆく過程の全体を大切にしようとする考え方である。その ため、「発達過程」という語を用いている。
保育においては、子どもの育つ道筋やその特徴を踏まえ、発達の個人差に留意するとともに、一人一人の心身の状態や家庭生活の状況などを踏まえて、個別に丁寧に対応していくことが重要である。また、子どもの今、この時の現実の姿を、過程の中で捉え、受け止めることが重要であり、子どもが周囲の様々な人との相互的関わりを通して育つことに留意することが大切である。

保育所保育指針 第一章総則 1 保育所保育に関する基本原則(1)保育所の役割【発達過程】 より

つまりは、発達は一時的な状態ではなく、過程として捉える必要があり、能力や資質だけによるものでないとされています。

発達と大人の視点
乳幼児期においては、本人の意思や認識よりも、大人の捉え方や視点が大きく影響します。

例えば、自分の手でご飯を口に運びたいと必死になっている子どもの姿。
意欲的と捉えることもできますし、不器用で手助けが必と判断することもあるでしょう。
また、汚れては困ると制止したくなることもあれば、他の子よりも発達が遅れていると気にする人もいるかもしれません。

一つ状況を見ても、幾つも捉えや印象があり、それに伴って保育が展開されています。

その保育の展開を"保育観"と語る保育者も少なくありませんが、子どもがどのような環境の中で、どのように感情を動かし、育って欲しいのかを土台として、保育を考えることが大事です。

日々、天候やそこにいるメンバー、保育のテーマによって展開される保育だからこそ、その時々で話し合い、チームで答えを出していくほかないと思っています。

私は、子どもたちの言葉が発達し、認知力が上がっていくに伴って、律することや理解、物事への優先順位がつき、行動がともなって行くことを思えば、0.1.2歳児で大きなストレスをかけ、我慢させることは不要だと考えています。

発達は、保育の中で頻繁に使われる言葉の一つですが、それぞれの保育士が資格を取得した時期や、働いている(働いてきた)園の状況、学びの段階よって解釈が異なっています。

そのことを前提にしても、このコロナ禍によって、子どもたちの発達の状況が変わっていることは明らかです。

2020年より、2,000人を超える保育士の話から、子どもの発達において、主に以下の3つが懸念されていることが見えてきました。

  • 運動量・種類の減少による、運動機能および神経系の発達の未熟さ

  • 閉鎖的な子育て環境による、保護者の子どもに対する発達段階への気付きが乏しくなっている。さらに、コロナ禍だったから、自分もそうだったなどと、不必要に安心を求める

  • 発達障害に関する情報が増えたことにより、子どもの感情や感覚、発信よりも、特徴や対処法が優先されている

しかしこの懸念に対する方策を、保育の現場や保護者は持っているのでしょうか?


子どもたちは、日々の経験や体験によって発達が促される。ということは、言うまでもありません。
さらに、保育の基準は、子どもの発達段階の指標をもとに定められています。しかも、子どもの発達は、日々の経験や体験が土台となっている前提です。

しかしながら、このコロナ禍で、当たり前の生活を送ることができないだけでなく、不安にさらされた大人たちの中で育った子どもたちが、それ以前の基準で保育をなされているのです。

2020年以前の環境であれば"発達が気になる"とは言われなかったはずの子に個別対応が必要となり、不安の強い保護者への対応も増えていることも、皆さんも思い当たることがあるでしょう。

さらに、抜粋下だけでも以下のようなことが挙がっています。

  • お箸を持つことが難しい3歳児の増加

  • 体幹が育たず、椅子に座っての食事が難しい

  • 指先の機能や握力のなさが、製作や絵画に影響を与えている

  • 便秘の子どもの増加

  • 保護者以外の大人との関わりがない子どもの存在

  • コミュニケーションの明らかな不足による、子ども同士での衝突あるいは無関心

  • 咀嚼・嚥下機能の未発達の多さ

  • 音や光への過度なおそれ 

例えば、経験や情報の不足により、排泄や着脱が自立していない3歳児が複数名クラスにいても、障害児保育の加算がつくわけでもありません。
そもそも、発達に課題があることの全てが、子どもの先天的な理由ではありません。

懸念されることへの配慮なしに、最低基準の中での保育を余儀なくされれば、ベテランであろうと、役職者であろうと、心の余裕がなくなることは想像がつきます。

保育士の暴行事件は、あってはならないことですが"なぜそのようなことが起きたのか"ということを、社会現象として捉えてみると、どこでも、いつでも同じことが起きる可能性が見えてきます。

子どもの発達の現状と、現行制度、さらには保育の現実を照らした上で、できること、そしてやらないことを明確にすることが必要なタイミングです。

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