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思い出句集

雨上がり
夏の陽射しの眩しさに
目を細める

 私は一句読むのが趣味なのだが、まあ読んで頂いたようにセンスはない。上手い句を読もうと勉強する訳でもなく、ただその場で感じた物をそのまま五七五に当てはめて、その場の余韻に少し浸るのが、少し楽しいと思っている。

ぽつぽつと
朝方から降る雨は
まだ止まない

 書きなぐった句を読み返しても、当時何を考えていたかは思い出せない。まあ、季節的なものはわかるのだが。例えば上記の句だ。梅雨の時期に書いたであろうその句を今読んでも何も面白いとは思えない。雨が続いたからこんな句を思いついたのだろうと、他人事のように感じるだけだ。
 雨には思い出がある。というか、くだらない話だ。最初に思いつくのは雨に唄えば。午後のロードショーで見たそれはそこそこ面白かったと思う。今見ればダンスの異常な身体能力に目が行くかもしれないが、見た感じ余りにも自然で試しにやってみたら壁にぶち当たった。雨に唄えばと言えば時計じかけのオレンジも忘れられない話だ。あの娯楽作品をあんなシーンで持ち出すキューブリックのセンスに引いたが、よくよく考えれば雨に唄えばとはそれほど凄い作品だと言うことでもある。
 雨が降っていても感慨に耽るような思い出もないわけだが、とんとん、とか、ざーざー、とか雨が建物に当たる音は好きだった。今でも好きなのかもしれない。何故か心が踊る。リズムもへったくれも無いその音に包まれた空間は居心地が良い。そこに何かを見出した時期もあったのかもしれない。

さよならと
言ったそばから
会いたいと思う

 誰にこんな事を思ったのだろうか。なんとなくとっておいた本に書かれたこの言葉を、誰に宛てたか思い出す事はないだろう。もしかしたら本の感想だったのかもしれない。
 本に線を引いたり何かを走り書きした時期が自分にはあった。あれは高校生の時だったかもしれない。もしかしたら中学生だったろうか。
 サッカー部でうだつの上がらない部員だった。身体能力が人並み以下。走れないし高くも飛べない。ボールも高く遠くへ蹴れない、とどうしようもない選手だった。それでもそれなりにサッカーは好きだったと思う。しかし、出来ない事ばかりに熱中できるほど情熱的な人間でもなかった。
 だから本を読んでいた。読むだけなら誰でも出来るし、読み終わった達成感もあった。当時読んだ本の内容はほとんど覚えていない。江國香織のきらきらひかるは覚えている。後は原田宗典の十九、二十ぐらいか。まあ身になっていない。とにかくわからない単語に線を引き、適当な感想を余白に書いたりして本を読んでいたと思う。というかしていたわけだが、結局それは栞代わりの物でしか無かった。
 代わりに覚えているのが本を読んでいた風景だ。窓から陽射しが差す部屋で1人、ただ黙々と本を読んでいた。あの頃は音楽を流しながら本を読むことは無かった。単純に音楽を聴くのは金がかかったからだ。それとイヤホンで聴ける環境が無かった。本に集中すると周りの音が消える。自分すらいなくなって、誰にも邪魔されず誰も気に掛ける事もない時間はとても好きだった。

潮薫る
街の匂いに
胸が鳴る

 さて、これは何の場面だろうか。昨年の夏の事か。幼き日の事か。書いた自分でもわからない。潮の匂いにはそれなりの思い出があるわけだが、そうは言ってもこれだけでは材料が足りない。
 海が近い町に私は生まれた。当然、幼少期は夏と言えば海だ。夏は潮の薫りがする。潮風が運ぶ匂いは夏の記憶を蘇らせる。まあ、まともな思い出もないわけだが、部活の事や桟橋から飛び込んだ事。そういったありきたりな夏の思い出が駆け巡る。
 それと蒲田でも何度か遊んだ事がある。あの場所も夏になると潮風の匂いに染まる。夏に友人と花火大会に行くのが恒例となっていた時期があった。
 何時もの格好で会い、何時もと同じ水族館へ行き、何時もと同じ説明を受け、自分には違いのわからないイルカショーを見る。たぶん、私の受け答えも毎回同じだったかもしれない。
 そうやって昼間の時間を過ごしてから、彼女は一度帰宅する。浴衣に着替える為だ。その待っている時間に薫る匂いが潮の薫りなのだ。蒲田付近は昔海辺であったらしい。だからだろうか。夏の風が海から吹いて街を通り過ぎる。それは何とも懐かしい感じがして好きだった。

秋風が
陽射しの熱を
奪い去る

 高校の時の教科書にこんな句を書いていた。秋は嫌いだ。体感温度は冬より寒いと思う。だから、寒がりの自分には辛い。寒いと痛いのだ。ボールが当たると痛さが倍増する。それが嫌だった。
 しかし、高校の時の自分はなんでこれを教科書に書いたのだろうか。思い当たる節はある。級友から熱を奪ったのも秋だった。
 秋の陽射しはまだ暖かく、しかし風は冷たい。毎年訪れる秋の日の朝のクラスで私は初めてその事実を知った。まあ、人が死ぬなんて日常だと思っていた。親戚の年寄は気がついたら死んでいる。近所の親戚の父親も亡くなった。それを悲しいとは思わなかった。親が死んだ事を想像して泣いた日も遥か昔の事だ。
 あの日は自分だけが日常に取り残されていた。まるでカミュの異邦人だな、と呑気に思ったものだ。とりあえずテスト期間だったのもあり、テストを受けて早々に帰宅した。この日に限っては誰もが黙々と帰途についたのだと思いたい。
 実はこの級友と前日に話していた。体育館の前の広場で座っていた彼に話しかけた。部活も引退が決まった頃で、バスケ部の彼も暇を持て余していた。彼とはあまり交流は無かったが、卒業を意識してかどうでも良い話を少しして、寒かったので引き上げた。典型的な秋晴れの陽気だった。
 その日の事は今でも思い出せる。
 
寒空の
下で見つめる
あいつの背中

 育ったのは雪が降らない土地だった。それでも冬は寒い。まあ、体感温度なので人によっては寒くないのかもしれないが。
 冬の季節に思い出は一つしかない。おそらくこの句もあの日の事を書いたのだろう。
 私と妹はキャラメルボックスという劇団にはまっていた。たまにテレビで放送されていたそれを二人一緒によく見ていた。
 妹の高校卒業が決まった年のクリスマスが迫っていた日の事だったと思う。妹が突然、
「キャラメルボックスのチケットが当たったから行こう。」
 と、わざわざ言ってきた。友達とでも行けばいいんじゃねえか。と、少し思いはしたけれども生の演劇の誘惑に負けた。
 いざ劇場へと向かった日。見ず知らずの土地をスイスイと歩いて行く妹の背中に付いていきながら目的地へと進む。クリスマスのイルミネーションに溢れた街並みに目を奪われながら、妹を見失わないように歩く。周りはカップルでごった返していた。
 会場へ着くと先ずは物販におもむいた。DVDを手に取りながら、これは見たことが無い、これは面白かったから欲しい、等といった会話に花を咲かせた。
 そうこうしている内に入場開始のアナウンスが響く。僕達は慌てて入場券を買い劇場へと入っていった。
 その日初めて知ったのだが、前説というものを劇団員が行っていた。西川さんという当時の看板俳優が喋っており、それだけで感動したものだ。テレビ画面の中でしか見たことがない彼がすぐそこにいたのだから。
 前説が終わり暗転。いよいよ劇が始まった。最初は演劇に感動していたが、ふと横の妹が気になった。集中して舞台を見つめる妹。手摺を強く握って一心不乱に楽しんでる妹を見て、今日は来てよかったな、と思ったものだ。
 劇が終わり品定めしていた物販を購入した。
「DVDは家に置いておけよ。俺も見るから。」
 と、釘を刺す。その日は互いに真っ直ぐ帰路に着いた。

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