生活形式を選ぶという自由について

アーミッシュ、イタリアのナポリピザなどなどに関する動画(Bappa Shota)を観た。
森達也のAもまた観た。

https://youtu.be/TzZgvqHmWOQ?si=ap1F0aSe4XXtx2Ah 

 https://youtu.be/gr3WUUgx6Fs?si=ZjjVxY8SRabd3Kjz

カルトにハマる人は潔癖、そうならなければ少なくともカルト問題は起きない、それでオケとはならない。


現代人は、細かい(消費上の)選択肢が多く、それを維持するため、自由論を持ち出す。
それも資本主義社会では不可避だが、僕達はとかく気が散っている。
気が散っている生き方に納得できるか否か
1個の生活形式を信じていたい人もいる。(アーミッシュなどの宗教コミュニティ)
そういう人に俗世のなんたるかを教えても、ますます「だったらなおさら、俗世に振り回されず信仰を大切にしたい」となる可能性すらある。
もう一つ、ナポリピザの規定は厳密、材料や焼き方が細かく指定され、その定義を満たさないとナポリピザと認められない。
日本なら、ラーメンでもなんでも店ごとに味の違いがあるのが当たり前。
日本とは対極のグルメ文化もあるということ。
とかく気が散りがちな現代人。
 「消費の選択肢が多い自由」か「一つの生活形式を選ぶ自由」か 
頭の片隅に、こういう図式ぐらいは置きたい。
日本でカルトにハマっちゃった真面目ーな人も、処変われば昔からある宗教コミュニティに属して敬虔な一信者として生きた可能性もあるのではないか。
「消費の選択肢が多い自由」を信じる人が多い社会には、その逆を行く自由が少ない?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?