ネットのエイプリルフールネタがあれな感じになりがちな理由 (ジョークが通じる条件とは?)

①ジョークが通じる条件
 
消費社会化とインターネット化は、社会をより「個人個人」って感じにするのを促進しました。
 また日本はもともと共同体より個人を優先するという話もあります。(山岸俊男)
 エイプリルフールの嘘というものは、要するにジョーク。
 「なんちゃって、嘘だよーん」と言ったジョークが通じるには、言語に還元されない文脈を共有できている必要があると思います。
 しかしインターネットのコミュニケーションは、じっさいはそういう文脈を確かに共有できていると言い難い面があり、
 またエイプリルフールになってから慌てて投稿されるようなネタに関しては、本当は「個人個人」で生きているネットユーザーからして面倒に感じられる可能性があり、多くのエイプリルフールネタはあまりリアクションされません。
 中にはネットにも面白いエイプリルフールネタもあるので、全部は否定しませんが、ネットで発表されてスルーされず炎上しないネタもよく見ると、特定の層にターゲットを絞ったものが多いです。
 あるアニメのファンに向けたものやもともとは身内に送ったネタ動画ですね。
 やはり文脈を共有できているのは、ジョークが受けるためには大事なのかなと思います。

②炎上するようなエイプリルフールネタはなぜ?

 詳細は知りませんが、一部ではエイプリルフールをSNSに投稿した後、そのことに謝罪する件が何件かあったようです。
 ニュースでちょっと見かけたら、肩書が「政治」とか「コメンテーター」に関わるような人でした。
 政治というのは、マックス・ヴェーバーが言うには、硬い板に力をこめて穴をあけていくことだと語っています。また政治家の倫理は市民の倫理と違い、市民のために市民倫理を超えた振る舞いをして、最後は自分が痛い目に合うみたいな話もあったと思います。
 要するに、旧い制度や既得権益が市民の幸せを疎外している場合、大鉈を振るってそれを変える。それをやれば既得権益の人などから恨みも買うでしょうし、どこかで無理を通す必要もあるでしょう。
 結局、政治家や言論人がどれだけ穏当な口調で喋り、中立や穏健さを演じようが、政治の名の下に遂行されることは、ときに炎上やあるいは分断を伴ってしまいます。
 なので炎上や分断を意識的に利用するアジテーターさえ登場してしまいます。
 また昨今では裏金問題のような「政治とカネ」問題が燃えていて、「政治とウソ」みたいな構図にも人々が過敏に反応するのだろうと思います。
 ①で話したことも加えて考えると、昨今は政治のフィールドで戦う可能性のある人が、エイプリルフールだけほっこりジョークのつもりでSNSにネタを上げても、なんしらの問題に引っかかる可能性があるということだろうなと感じます。
 
 


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