ありがとう、トラスタ。いつか、また出会うその時まで。
僕が初めて、トラスタにV・ファーレンの試合を見に行ったのは、まだトラスタがトラスタになる前、小学5年生の時だったことを思い出します。
それから10余年。トラスタはさまざまな夢を乗せて、V・ファーレン長崎の航海を支えてくれました。
とくに、J2へ昇格した2013年からは長崎のホームスタジアムとなりましたが、今考えてみても、2万人規模かつ、屋根付きのスタジアムは、昇格したばかりのクラブにとっては、身に余るほど恵まれたものだったと思います。
その恵まれた環境を活かして、J2で躍進を続けた長崎。長い年月を経てですが、やっとトラスタにふさわしいチームになれたのではないでしょうか。
いきなり、18000人を越える観客が押し寄せたガンバ戦から、昇格初年度ながら破竹の勢いで駆け上がり、プレーオフを経験した2013年。
一転苦しみ、J2の厳しさを知り、選手の大きな入れ替わりも経験した2014年。
得点が取れなくて、最後の最後までもつれ込んだものの、J2で1番硬い守備が誇らしくかったけれど、プレーオフの福岡戦で泣いた2015年。
前半戦、ホームで1度も勝てなくて、残留争いにも巻き込まれ、苦しかったけれど団結して乗り越えた2016年。
チームが無くなるかもしれない不安と恐怖があった春先、ジャパネットという救世主が現れた後、奇跡としか言いようがない勢いで勝ち続け、J1昇格の夢舞台を掴んだ2017年。
2018年は名の知れたチーム、名の知れた選手ばかりのJ1で、荒波に揉まれながらも必死で闘い、降格はしたものの、4連勝があったり、強豪にも臆せず戦っていたり、素晴らしい経験ができた年でした。
高木監督から手倉森監督に変わった2019年は、堅守速攻からポゼッションへの移行が上手くいかずリーグ戦は噛み合いませんでしたが、ルヴァンカップや天皇杯で勝ち残ったことが思い出深い年です。
2020年は独走態勢に入りながらも急失速で昇格を逃し、甲府戦の秋野の涙もあって悔しさの方が強いけれど、コロナ禍で苦しい時期だった中、多くの希望を与えてくれました。
2021年は激動の年。長崎の歴史上で初めて、シーズン途中での監督交代があり、昇格を2年連続で逃したのは辛かったけれど、吉田孝行さん、松田浩さんへの感謝は今でも強くあります。
またも、監督交代を経験した2022年は、安定しない1年だったことで、メンバーが入れ替わり、今の長崎に移り変わるための1年でした。
ユースっ子や、生え抜き選手の活躍はやっぱり格別に嬉しいものでした。
またまた安定しない2023年。成績の不安定さから、サポーターとチームともに昇格への難しさを感じてもどかしかったですが、この経験が今へと繋がっているのでは?と思っています。
そして、トラスタ最終年である2024年。
完全にイレギュラーな監督交代にも負けず、昇格を争っており、少し調子は落としたものの、現在までの成績は胸を張ってもいいものだと思います。
こうして少し振り返るだけでも、トラスタをホームとして過ごした時間は色んなことがありました。
勝ったり負けたり、観客が多かったり少なかったり。スタグルは多くなり、ありがたいことにスポンサーの看板も、2013年から比べると、同じチームとは思えないほどに増え、 電子看板が設置された時は、なんだかJ1の強豪チームになれたような気分でした。
昇格から11年。
初めてのホーム戦であるガンバ戦で、遠藤保仁さんへのブーイングを聞き、わくわくしていた小学生が、今は社会人になりました。
トラスタに来るとほっとして、顔なじみの人がいて、いつも、自分のあるべき場所へと戻るような感覚になれました。
試合になると、ピッチに立つ選手への憧れを感じながら、サッカーの興奮と楽しさ、それだけでなく、ままならない悔しさも教えてもらいました。
トラスタは僕にとって、ふるさとであり、戦いの場であり、友と笑い合える場所であり。
すべての感情を惜しみなく出せる、僕の青春において、もっとも大切で、かけがえのない最高の場所です。
トラスタラストゲームの最後の笛が鳴った時、僕は人目をはばからず泣きました。それだけ大切に思える空間に出会い、過ごすことができ、本当に幸せな時間だったと本気で思います。
また、V・ファーレン長崎のホームスタジアムとしての役割は終えますが、これからも長崎県の陸上競技を支える陸上競技場として、ユース年代や社会人、シニア年代のサッカーを支える場所として、その他、長崎県で行われるさまざまなスポーツの発展を支える場所として、重大な役割を担い続けると思います。
これがお別れではなく、またお世話になるタイミングはたくさんあるでしょう。だから、さようならとは言いません。
ありがとう、トラスタ。いつか、また出会うその時まで。
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